オッドーネ・ディ・サヴォイアとは? わかりやすく解説

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オッドーネ・ディ・サヴォイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 17:59 UTC 版)

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オッドーネ・ディ・サヴォイア
Oddone di Savoia
サヴォイア伯
在位 1051年 - 1057年

出生 1010/20年
死去 1057年
配偶者 トリノ女伯アデライデ
子女 ピエトロ1世
アメデーオ2世
オッドーネ2世
ベルタ
アデライデ
家名 サヴォイア家
父親 サヴォイア伯ウンベルト1世
母親 アンシリア
宗教 キリスト教カトリック
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オッドーネ・ディ・サヴォイアOddone di Savoia, 1010/20年 - 1057年)は、サヴォイア伯アオスタ伯、トリノ辺境伯(Marca di Torino)、モーリエンヌ伯(在位:1051年 - 1057年)。先代アメデーオ1世の弟で、先々代ウンベルト1世ビアンカマーノの四男。

生涯

本来は爵位を継ぐ立場になかったが、長兄アメデーオ1世が男子継承者を持たずに没し、2人の兄も聖職者になっていたために伯位を継承する幸運を得た。オッドーネはフランク王国時代のネウストリア王国に由緒を持つトリノ女伯アデライデ(トリノ伯オルデリーコ・マンフレーディ2世娘)と結婚しており[1]、彼の爵位継承でサヴォイア家は大きく領土を拡大した。サヴォイア家は現在のイタリアフランス国境に領土を持っていたが、オッドーネは積極的にイタリアでの領土拡大を進め、ピエモンテ地方の大部分を獲得するに至った。

長女ベルタは後にザーリアー朝ローマ皇帝ハインリヒ4世の妃に選ばれてハインリヒ5世を生んだため、オッドーネはハインリヒ5世の祖父としてオットー・フォン・ザヴォイエン(Otto von Savoyen)とドイツ名で呼ばれることもある。一方、次女のアデライデ2世はハインリヒ4世の政治的ライバルだったシュヴァーベン公ルドルフに嫁いでいる。

オッドーネとアデライデの間には以下の子供が生まれた。

1057年の死後は長男ピエトロ1世が後を継いだ。

脚注

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  1. ^ 池上英洋『美しきイタリア 22の物語』光文社、2017年、107頁。ISBN 978-4-334-04303-2




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