エンツォからの寵愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:45 UTC 版)
「ミケーレ・アルボレート」の記事における「エンツォからの寵愛」の解説
フェラーリ入りを決めたのは、自身がイタリア人であることだけでなく、エンツォ・フェラーリから寵愛を受けたことだという。事実、エンツォは、妻と子どもの居たアルボレートに、4シーターにカスタムしたフェラーリの市販車をプレゼントしたという。しかし、1988年にエンツォの容態が悪化し死去すると、成績もベルガーに先行される事が増えていたアルボレートは後ろ盾を失い、同年限りでフェラーリからの放出が決まったが、それをチームから正式に告げられた時も「それほど悲しくはなかった。わたしはエンツォ・フェラーリあってのフェラーリ・ドライバーだったし、彼がいなければフェラーリに残る理由が無い。イタリア人レーサーにとってF1でフェラーリをドライブすることは人生で最高の出来事だった。素晴らしい日々だった。将来、フェラーリがワールドチャンピオンシップを獲得するのを願ってやまないよ。いまはマクラーレンやウイリアムズが強すぎるからすぐには無理だろうけど、1994年頃になるかな。」とコメントしフェラーリを去った。
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