エルベール1世_(ヴェルマンドワ伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エルベール1世_(ヴェルマンドワ伯)の意味・解説 

エルベール1世 (ヴェルマンドワ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 05:59 UTC 版)

エルベール1世
Herbert Ier
ヴェルマンドワ伯
在位 892年 - 907年

出生 848/50年
死去 907年
子女 ベアトリス
エルベール2世
キュネゴンド
家名 ヴェルマンドワ家
父親 ヴェルマンドワ伯ピピン
テンプレートを表示

エルベール1世(フランス語:Herbert Ier de Vermandois, 848/50年 - 907年)は、ヴェルマンドワ伯モー伯ソワソン伯およびサン=カンタンの在俗修道院長。カロリング家の庶流の一員で、フランク王国において重要な役割を果たした。

生涯

エルベール1世はヴェルマンドワ伯ピピンの息子で、カール大帝の息子イタリア王ピピンの曽孫にあたる。母親はニーベルング家の出身と考えられている。エルベールの前半生については不明である。エルベールは889年以前にソワソン伯となり、ヴァイキングの侵入に対しオワーズ川周辺を守る役割を果たしたとみられる。同時代の記述によれば、エルベールはカロリング家の一員でありカール大帝の玄孫としての利益を享受していたという[1]。エルベールはサン=カンタンおよびペロンヌを支配し、ソンム川上流域におけるエルベールの行動、例えば896年にフランドル伯ボードゥアン2世の弟ラウルを捕らえ殺害したことなどは、907年にボードゥアン2世がエルベールを殺害する要因となったと考えられる[2]

エルベールはロベール家ロベールと同盟を結ぶため、娘ベアトリスをロベールの2度目の妻とした[1]。また、息子エルベール2世とロベールの娘アデールを結婚させた[1]。もう一人の娘キュネゴンドはコンラディン家のヴェッテラウ伯ウードと結婚した[3]

子女

ベルト・ド・モーヴォワとの間に以下の子女をもうけたとみられる。

脚注

  1. ^ a b c Dunbabin 2000, p. 95.
  2. ^ Riché 1993, p. 236.
  3. ^ McKitterick 1999, p. 360-361.

参考文献

  • Dunbabin, Jean (2000). France in the making, 843-1180. Oxford University Press 
  • McKitterick, Rosamond (1999). The Frankish Kingdoms under the Carolingians. Pearson Education Limited 
  • Riché, Pierre (1993). The Carolingians; A Family who Forged Europe. University of Pennsylvania Press 
先代
ピピン2世
ソワソン伯
889年 - 907年
次代
エルベール2世
先代
ピピン2世
ヴェルマンドワ伯
892年 - 907年
次代
エルベール2世
先代
ピピン2世
ヴァロワ伯
893年 - 895年
次代
エルマンフロワ
先代
テオドリック
モー伯
896年 - 907年
次代
エルベール2世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エルベール1世_(ヴェルマンドワ伯)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エルベール1世_(ヴェルマンドワ伯)」の関連用語

エルベール1世_(ヴェルマンドワ伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エルベール1世_(ヴェルマンドワ伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエルベール1世 (ヴェルマンドワ伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS