エマニュエル・テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (ブイヨン公)とは? わかりやすく解説

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エマニュエル・テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (ブイヨン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/13 00:48 UTC 版)

エマニュエル・テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ
Emmanuel-Théodose de La Tour d'Auvergne
ブイヨン公
アルブレ公を称していた頃のエマニュエル・テオドーズの銅版画、アントワーヌ・トルーヴァン制作、1684年頃
在位 1721年 - 1730年

出生 1668年
死去 1730年4月17日[1]
配偶者 マリー=アルマンド・ド・ラ・トレモイユ
  ルイーズ=フランソワーズ=アンジェリーク・ル・テリエ
  アンヌ=マリー=クリスティーヌ・ド・シミアヌ
  ルイーズ=アンリエット=フランソワーズ・ド・ロレーヌ
子女 一覧参照
家名 ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家
父親 ブイヨン公ゴドフロワ・モーリス
母親 マリー・アンヌ・マンシーニ
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エマニュエル・テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュEmmanuel-Théodose de La Tour d'Auvergne, duc de Bouillon, 1668年 - 1730年4月17日[1])は、ブルボン朝時代フランスの貴族・廷臣。ブイヨン公爵。1715年から1728年までの13年間、幼王ルイ15世フランス王室侍従長フランス語版として近侍した[2]

生涯

王室侍従長を務めたブイヨン公ゴドフロワ・モーリスとその妻マリー・アンヌ・マンシーニの間の第3子・次男[3][2]。宮廷ではアルブレ公と称していたが、兄のテュレンヌ公ルイ・シャルルが大同盟戦争従軍中の1692年に戦死したため、ブイヨン公家の家督相続者としてテュレンヌ公となる。1721年父の死で家督を相続した。

子女

生涯に4度結婚した。1696年2月1日、又従兄のトゥアール公シャルル=ベルジーク=オランドの娘マリー=アルマンド・ド・ラ・トレモイユ(1677年 - 1717年)と最初の結婚をし、彼女との間に7人の子をもうけた。

  • アルマンド(1697年 - 1717年) - 1716年エピノワ公ルイ2世・ド・ムランと結婚
  • マリー・マドレーヌ(1698年 - 1699年)
  • 息子(1699年)
  • ゴドフロワ・モーリス(1701年 - 1705年) - テュレンヌ公
  • フレデリック・モーリス・カジミール(1702年 - 1723年) - テュレンヌ公
  • マリー・オルタンス・ヴィクトワール(1704年 - 1741年) - 1725年トゥアール公シャルル=アルマン=ルネと結婚
  • シャルル・ゴドフロワ(1706年 - 1771年) - ブイヨン公[1]

1718年1月4日、軍事大臣を務めたバルブジュー侯爵ルイ=フランソワ=マリー・ル・テリエ英語版の娘ルイーズ=フランソワーズ=アンジェリーク・ル・テリエ(1689年 - 1719年)と2度目の結婚をし、間に息子を1人もうけた。

  • ゴドフロワ・ジロール(1719年 - 1732年) - シャトー=ティエリ公

1720年5月26日、モンシャ伯爵フランソワ・ド・シミアヌの娘アンヌ=マリー=クリスティーヌ・ド・シミアヌ(1683年 - 1722年)と3度目の結婚をし、間に娘を1人もうけた。

1725年3月21日、アルクール伯アンヌ=マリー=ジョゼフの娘ルイーズ=アンリエット=フランソワーズ・ド・ロレーヌ(1707年 - 1737年)と4度目の結婚をし、間に娘を1人もうけた。

引用・脚注

  1. ^ a b c van de Pas, Leo. “Emmanuel Théodose de La Tour d'Auvergne”. Genealogics .org. 2010年3月29日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ a b Emmanuel Theodose, Duc de Bouillon, d'Albret, de Chateau-Thierry, Grand Chamberlain of France, etc,,Genealogy.euweb.de La Tour3.
  3. ^ Paul Theroff. “La Tour d’Auvergne”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2020年1月4日閲覧。
先代
ゴドフロワ・モーリス
ブイヨン公
1721年 - 1730年
次代
シャルル・ゴドフロワ



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