エフィム・シチャデンコとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 軍人・軍事関係者 > ソビエト連邦の軍人 > エフィム・シチャデンコの意味・解説 

エフィム・シチャデンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/27 07:40 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

エフィム・アファナシエヴィッチ・シチャデンコロシア語: Ефим Афанасьевич Щаденко1885年1951年9月6日)は、ソ連共産党の活動家、ソビエト連邦軍人政治将校)。大将。

経歴

ロシア帝国ドン軍管州カーメンスカヤ村の労働者の家庭に生まれる。1904年、ロシア社会民主労働党に入党。1917年2月、ロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ)カーメンスカヤ委員会議長。11月、赤衛隊指揮官。

1918年8月~11月、北カフカーズ軍管区本部政治委員。1918年11月~1919年1月、第10軍革命軍事会議議員となり、ツァリーツィン防衛に参加した。1919年1月~6月、ウクライナ戦線革命軍事会議議員、ウクライナ陸・海軍副人民委員。1919年11月、第1騎兵軍革命軍事会議議員、1920年7月、第2騎兵軍革命軍事会議議員。

ロシア内戦終結後、騎兵師団長、労農赤軍騎兵監察官補佐、フルンゼ名称軍事アカデミー政治担当副校長、管区政治局長を歴任。1930年~1934年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央監督委員会委員。1937年~1946年、ソ連最高会議代議員。1937年5月、カフカーズ軍管区軍事会議議員。1937年11月23日、副国防人民委員兼労農赤軍指揮要員局長となり、赤軍大粛清中、レフ・メフリスと共に赤軍将校の逮捕状を交付した。1940年、ポストを離れる。1939年~1941年、党中央委員会委員、1941年からは委員候補。

独ソ戦時、副国防人民委員に再任され、部隊編成・充足総局長を兼任した。1943年~1944年、南部戦線と第4ウクライナ戦線の軍事会議議員。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エフィム・シチャデンコ」の関連用語

エフィム・シチャデンコのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エフィム・シチャデンコのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエフィム・シチャデンコ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS