エア・ローデシア827便撃墜事件とは? わかりやすく解説

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エア・ローデシア827便撃墜事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/30 16:20 UTC 版)

エア・ローデシア 827便
同型機の機体
出来事の概要
日付 1979年2月12日
概要 ジンバブエ人民革命軍の 9K32 ストレラ-2によって撃墜
現場 ローデシア ウディ
南緯16度25分 東経29度26分 / 南緯16.417度 東経29.433度 / -16.417; 29.433座標: 南緯16度25分 東経29度26分 / 南緯16.417度 東経29.433度 / -16.417; 29.433
乗客数 55
乗員数 4
負傷者数 0
死者数 59 (全員)
生存者数 0
機種 ビッカース バイカウント
運用者 エア・ローデシア
出発地 ハラレ国際空港
経由地 カリバー空港英語版
目的地 ハラレ国際空港
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エア・ローデシア827便撃墜事件(エア・ローデシア827びんげきついじけん、: Air Rhodesia Flight 827)は、1979年2月12日ハラレ国際空港を離陸した同便がジンバブエ人民革命軍英語版9K32 ストレラ-2地対空ミサイルMANPADS)によって撃墜された事件である。

事件発生まで

敵対しているローデシア治安部隊の総司令官であるピーター・ウォールズ英語版将軍が827便に搭乗しているという情報を入手したシンブバエ人民革命軍は、同便を9K32 ストレラ-2撃墜することでウォールズ将軍を抹殺する計画を決行した。しかし、目的のウォールズ将軍と彼の妻は827便に乗り遅れていた。

その事実を知らない革命軍は827便に対し予定通りミサイルで攻撃し、損傷した827便はカリバ湖の東側で墜落した[1]。この事件で乗客乗員59人全員が死亡した。

2023年現在、ローデシアおよびジンバブエでは最悪の航空事故である[2]

対策と報復

2度の事件後エア・ローデシアは赤外線シグネチャー英語版対策として、機体の排気管に シュラウディングを追加し、光波ホーミング誘導式ミサイル対策として、機体を低放射能塗料で塗装した。[要出典]

なおこの事件の約5ヶ月前にはエア・ローデシア825便撃墜事件英語版が発生しており、ローデシア政府は革命軍側に対し報復攻撃を決定した。

そして1979年2月25日ローデシア空軍南アフリカ空軍の極秘支援を受け、ザンビアリヴィングストン近郊の革命軍キャンプに対する攻撃(バニティー作戦英語版)を開始した[3]

脚注




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