ウォルター・ペイジとは? わかりやすく解説

ウォルター・ペイジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 14:43 UTC 版)

ウォルター・ペイジ
Walter Page
出生名 Walter Sylvester Page
生誕 (1900-02-09) 1900年2月9日
出身地 アメリカ合衆国 ミズーリ州ガラティン
死没 (1957-12-20) 1957年12月20日(57歳没)
ジャンル ジャズスウィング・ジャズ、カンサス・シティ・ジャズ
職業 ミュージシャン、バンドリーダー
担当楽器 ダブルベースチューババリトン・サックス
共同作業者 ベニー・モーテン、カウント・ベイシー、ホット・リップス・ペイジ、ブルー・デビルズ

ウォルター・ペイジWalter Page1900年2月9日 - 1957年12月20日)は、アメリカミズーリ州出身のジャズベース奏者。

元々は「ブルー・デビルズ」のリーダーとして、カンザスシティで人気を誇った。最初はチューバ奏者だったが、ダブルベースに転向した。その「ブルー・デビルズ」で共に活躍していたのがカウント・ベイシー、ジミー・ラッシングなどであった。その後、ベニー・モーテン楽団に吸収され、モーテン死後はカウント・ベイシーの下で演奏した。カウント・ベイシー楽団初期のリズムセクションオール・アメリカン・リズム・セクション」の一員であり、その柔軟なウォーキングスタイルと、力強い4ビートのベースラインはベイシー特有のサウンドに大きく貢献した。彼のプレイがその後のビバップ時代に影響したと言われ、あまり有名ではないもののジャズ・ベースの始祖と言える存在であった。

ディスコグラフィ

参加アルバム

カウント・ベイシー

  • The Original American Decca Recordings (1992年、GRP) ※1937年-1939年録音

バック・クレイトン

  • The Huckle-Buck and Robbins' Nest (1954年、Columbia)
  • How Hi the Fi (1954年、Columbia)
  • 『バック・クレイトン・ジャム・セッション』 - Jumpin' at the Woodside (1955年、Columbia)
  • 『バック・クレイトン・ジャム・セッション』 - All the Cats Join In (1956年、Columbia)

レスター・ヤング & バック・クレイトン

  • The "Kansas City" Sessions (1997年、Commodore) ※1938年録音

ポール・クイニシェット

  • For Basie (1957年、Prestige)

レスター・ヤング、チャーリー・クリスチャン、バック・クレイトン

  • From Spirituals to Swing (1999年、Vanguard) ※1938年-1939年録音

ルビー・ブラフ

  • 『アット・ニューポート'57』 - The Ruby Braff Octet with Pee Wee Russell & Bobby Henderson at Newport (1957年、Verve)

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