ウィリアム・エドワード・エアトンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 教育関係者 > 教育関係者 > 東京大学の教員 > ウィリアム・エドワード・エアトンの意味・解説 

ウィリアム・エドワード・エアトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/19 01:42 UTC 版)

ウィリアム・E・エアトン

ウィリアム・エドワード・エアトン(William Edward Ayrton、1847年9月14日 - 1908年11月8日)は、イギリス物理学者である。お雇い外国人として明治6年(1873年)から11年まで工部省工学寮(1877年工部大学校に改称、東京大学工学部の前身)で教えた。日本で初めてアーク灯を点灯した。

最初に結婚した医師、マチルダ・チャップリン=エアトンとは一緒に来日し、マチルダは日本では助産師の学校を開き、自ら教えた。英国に帰国後再婚したハータ・エアトンも女性科学者として業績をあげた。

来歴

1847年、ロンドンに生まれた。ロンドンのユニバシティ・カレッジで学び、1868年インドベンガルで通信建設の仕事についた。1873年、明治政府の招きで来日し、工部大学の教授となった。6年間日本に滞在した後ロンドンのフィンスベリー工科大学(Finsbury College of the City and Guilds of London Technical Institute)の応用物理学の教授になった。

1881年王立協会フェロー選出、1901年同協会からロイヤル・メダル受賞。1884年にCentral Technical Collegeの電気工学の教授になった。1885年にハータと結婚した。多くの論文を発表しているが、特にジョン・ペリーと共同で行った、電気計測機器の開発で知られている。

教え子

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」からウィリアム・エドワード・エアトンを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からウィリアム・エドワード・エアトンを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からウィリアム・エドワード・エアトン を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィリアム・エドワード・エアトン」の関連用語

ウィリアム・エドワード・エアトンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィリアム・エドワード・エアトンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィリアム・エドワード・エアトン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS