アーチボルド・キャンベル (第9代アーガイル伯爵)とは? わかりやすく解説

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アーチボルド・キャンベル (第9代アーガイル伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 06:43 UTC 版)

第9代アーガイル伯爵アーチボルド・キャンベル

第9代アーガイル伯爵アーチボルド・キャンベルArchibald Campbell, 9th Earl of Argyll PC FRS, 1629年 - 1685年6月30日)は、清教徒革命イングランド内戦)から王政復古期のスコットランドの貴族。第8代アーガイル伯爵(初代アーガイル侯爵)アーチボルド・キャンベルとモートン伯爵ウィリアム・ダグラス英語版の娘マーガレット・ダグラスの長男。

生涯

清教徒革命で父と共に王党派に属して議会派と戦い、1650年にスコットランド王に即位したチャールズ2世を擁立して第三次イングランド内戦ダンバーの戦いと翌1651年ウスターの戦いに参戦、オリバー・クロムウェル率いるイングランド共和国軍と戦った。戦後反乱策謀の容疑で1657年に投獄され1660年に解放、翌1661年に父が革命での行動を咎められ反逆罪で処刑され侯爵位を没収、それに連座して再び投獄されたが、王政復古でイングランド王・スコットランド王に即位したチャールズ2世からは1663年に改めて新設の形でアーガイル伯爵位を授与された[1][2]。同年に王立協会フェローに選ばれている[3]

しかし、チャールズ2世の弟でスコットランドに赴任したヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)から宗教問題で対立して疎まれたため1681年に死刑判決を受けオランダへ亡命、チャールズ2世の庶子のモンマス公ジェームズ・スコットと結託してチャールズ2世の死後即位したジェームズ2世に反乱を起こすため1685年5月にオランダからスコットランドへ上陸した。しかし準備不足のため戦う前から軍は分裂、6月に捕らえられエディンバラで処刑された。モンマスもイングランドに上陸したが国王軍に早期鎮圧され、7月に同じく処刑された(モンマスの反乱[1][2][4]

反乱により爵位と領土は没収されたが、1650年に結婚したマリ伯爵ジェームズ・ステュアートの娘メアリーとの間に生まれた息子のアーチボルド・キャンベルは復権に尽力、1689年ウィリアム3世から爵位と領地を返上され、1701年に公爵への昇格も果たした[2][5]

子女

メアリーとの間に7人の子を儲けた[6]

  • メアリー(1657年7月17日[6] - ?)
  • アン(1658年頃 - 1734年9月18日) - 1678年7月1日、第4代ローダーデイル伯爵リチャード・メイトランドと結婚、子供あり。その後、第6代マリ伯爵チャールズ・ステュアートと再婚、子供なし[6]
  • アーチボルド(1658年 - 1703年9月28日) - 第10代アーガイル伯爵、初代アーガイル公爵[6]
  • ジョン英語版(1660年頃 - 1729年4月9日) - スコットランド王国議会議員、グレートブリテン庶民院議員。1692年、エリザベス・エルフィンストン(Elizabeth Elphinstone、1758年没、第8代エルフィンストン卿ジョン・エルフィンストンの娘)と結婚、子供あり。第4代アーガイル公爵ジョン・キャンベル英語版の父[7]
  • チャールズ英語版(1707年以降没) - スコットランド王国議会議員。おそらく1678年にソフィア・リンジー(Sophia Lindsay、初代バルカレス伯爵アレグザンダー・リンジーの娘)と結婚[6]
  • ジェームズ英語版(1660年頃 - 1713年1月?) - スコットランド王国議会議員、グレートブリテン庶民院議員。1690年11月10日、メアリー・ウォートン(Mary Wharton、フィリップ・ウォートンの娘)と結婚したが、同年12月20日に議会法案の可決を経て結婚を解消した。1694年、マーガレット・レズリー(Margaret Leslie、1755年4月19日没、初代ニューアーク卿デイヴィッド・レズリーの娘)と結婚、子供あり[6][8]
  • ジーン(Jean、1712年7月31日没) - 1685年6月30日、第2代ロジアン侯爵ウィリアム・カーと結婚、子供あり[9]

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 森 1994, p. 131.
  2. ^ a b c 松村 & 富田 2000, p. 31.
  3. ^ "Campbell; Archibald (1629 - 1685); 9th Earl of Argyll". Record (英語). The Royal Society. 2012年1月14日閲覧
  4. ^ 友清 2004, pp. 5–15.
  5. ^ 森 1994, p. 130.
  6. ^ a b c d e f Paul, James Balfour, Sir, ed. (1904). The Scots Peerage (英語). I. Edinburgh: David Douglas. pp. 367–368.
  7. ^ Hayton, D. W. (2002). "CAMPBELL, Hon. John (c.1660-1729), of Mamore, Dunbarton.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月13日閲覧
  8. ^ Hayton, D. W. "CAMPBELL, Hon. James (aft. c.1660-?1713).". The House of Commons (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月13日閲覧
  9. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 147–148.

参考文献

スコットランドの爵位
先代
アーチボルド・キャンベル
アーガイル伯爵
1663年 - 1685年
次代
アーチボルド・キャンベル



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