アンドレア・カルネヴァーレとは? わかりやすく解説

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アンドレア・カルネヴァーレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 03:08 UTC 版)

アンドレア・カルネヴァーレ
名前
カタカナ アンドレア・カルネヴァーレ
ラテン文字 Andrea Carnevale
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1961-01-12) 1961年1月12日(62歳)
出身地 モンテ・サン・ビアージョ
身長 184cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW
代表歴
1988-1990 イタリア 10 (2)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドレア・カルネヴァーレ(Andrea Carnevale、1961年1月12日 - )は、イタリア出身の元同国代表の元サッカー選手。センターフォワードや左ウイングとしてプレーした[1]

経歴

1978年にセリエCのラティーナでキャリアをスタート。1984年にセリエAのウディネーゼに移籍、ここでの活躍により評価を得ると、ユヴェントスACミランASローマが獲得に名乗りを上げたが、1986年に強豪のSSCナポリへ移籍した[1]ディエゴ・マラドーナジョルダーノ、カルネバーレの3人はそれぞれの頭文字から取ってマジカ(Ma・Gi・Ca、魔法)トリオと呼ばれ[2]、1986-87シーズン、左ウイングとして起用されると、公式戦42試合で12ゴールを決め、クラブのセリエA初優勝、コッパ・イタリア優勝に貢献した[1]。1987-88シーズン、ベンチスタートになるなど、出場時間が減少し、監督との間に亀裂が生じることもあった[1]。1988-89シーズン、ジョルダーノがチームを去ると、カレッカとのパートナーとしてレギュラーに返り咲き、このシーズンの公式戦46試合で20得点を決めた[1]。1989-90シーズン、リーグ戦では31試合で8得点と、前年よりゴール数を減らしたが、優勝に重要な役割を果たし、2度目のリーグ制覇[1]

1988年のソウル五輪では全試合に起用され、2得点をあげた[1][3]イタリア代表には、1989年4月22日のウルグアイ戦でデビュー[1]。翌1990年のワールドカップ・イタリア大会ではジャンルカ・ビアリの相方として期待されたが結果を残せず、サルヴァトーレ・スキラッチの台頭により、グループリーグ第3戦以降は出番を失った[1]。大会後、ASローマへ移籍した。加入後順調にゴールを重ねていたが、1990年10月8日のバーリ戦後のドーピング検査で、アンジェロ・ペルッツィと共にドーピング違反となり、1年間の出場停止処分を受けた[1]。複帰後は、以前のようなプレーを見せれれないまま、1992-93シーズン終了後にローマを離れた[1]

1995-96シーズン、ペスカーラ・カルチョでのプレーを最後に35歳で引退した[1]

所属クラブ

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Andrea Carnevale, il calcio come riscatto: drammi, goal, cadute e trionfi”. GOAL (2022年1月12日). 2023年8月18日閲覧。
  2. ^ Napoli, retroscena dello scudetto: Maradona svela l'insolita trattativa per convincere Bruno Giordano”. storiemaledette.com (2018年9月1日). 2020年8月17日閲覧。
  3. ^ Andrea Carnevale”. Transfermarkt. 2023年8月18日閲覧。






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