アントン・フォン・マロンとは? わかりやすく解説

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アントン・フォン・マロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/06 03:45 UTC 版)

アントン・フォン・マロン
Anton von Maron
自画像
生誕 1733年1月8日
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
死没 1808年3月3日
教皇領ローマ

アントン・フォン・マロン (ドイツ語: Anton von Maron 1733年1月8日 – 1808年3月3日) は、オーストリア出身でローマで活躍した画家。

略歴

ウィーンに生まれた。父親のヨハン・レオポルト・マロン(Johann Leopold Maron:1696–1770)は画家であった。1741年から1744年まで、ウィーン美術アカデミーで学んだ。1755年にローマに移り、アントン・ラファエル・メングスの弟子となり、メングスのスタジオに住んだ。1765年に、メングスの姉で画家でもあるテレーゼ・メングス (1725–1806)と結婚した。

1766年にイタリアの芸術家組合、アカデミア・ディ・サン・ルカの会員となり、主に肖像画を描いた。ローマの芸術家たちと交流し、1772年からウィーン美術アカデミーの再編のために貢献した。ウィーンのアカデミーで選ばれた学生は奨学金を与えられて、マロンにもとに送られるようになった。ウィーンやローマで学生を指導した。

作品

参考文献

  • Albert Ilg: Maron, Anton von. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 20, Duncker & Humblot, Leipzig 1884, S. 403 f.
  • Elisabeth Hermann-Fichtenau: Maron, Anton von. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 16, Duncker & Humblot, Berlin 1990, ISBN 3-428-00197-4, S. 233 f.

外部リンク

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