アントーニオ・ヒスベルトとは? わかりやすく解説

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アントーニオ・ヒスベルト

(アントニオ・ヒスベルト から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:30 UTC 版)

アントーニオ・ヒスベルト
Antonio Gisbert
作者不詳の肖像画
生誕 1834年12月19日
スペイン,アルコイ
死没 1901年11月27日
フランス,パリ

アントーニオ・ヒスベルト(Antonio Gisbert Pérez 、1834年12月19日1901年11月27日)はスペインの画家である。スペインの歴史を題材に、写実主義のスタイルで作品を描いた。

略歴

バレンシア州アルコイで生まれた。マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーホセ・デ・マドラーソフェデリコ・デ・マドラーソに学んだ。1655年からローマに留学し、1858年にローマの展覧会に出展した。イサベル2世によって1858年から開かれていたスペイン全国展覧会(Exposiciones Nacionales de Bellas Artes)の1868年の展覧会で一等を受賞した[1]。その年、イサベル2世が退位し、フェデリコ・デ・マドラーソが プラド美術館の館長を辞任すると、後任として、館長に任じられた。1873年にアマデオ1世が退位して、スペイン共和国が成立すると、その体制に反対であったので、館長を辞任し、パリに移り、その後はスペインに戻ることはなかった。プラド美術館の館長はフランシスコ・サンス・カボット(Francisco Sans Cabot:1828-1881)が引き継いだ。

作品

脚注

  1. ^ « Propuesta de premios que presenta el jurado de la esposición de bellas artes », El Museo Universal, Madrid, vol. 9, no 5, 29 janvier 1865, p. 3-5 (ISSN 1889-8440)

参考文献

  • Adrian Espí Valdés (préf. Juan de Contreras y López de Ayala (es)), Vida y obra del pintor Gisbert : un quehacer artistico de alcance internacional que abarco toda la segunda mitad del siglo XIX, Valence, Inst Alfonso el Magnánimo, 1971, 179 p.
  • Maria Cóndor Orduña, Antonio Gisbert y la historia contemporánea, vol. 249, t. 63, Archivo español de arte, 1990 (ISSN 0004-0428), p. 102-110
  • Francisco José Portela Sandoval, Gisbert y Casado, en el Congreso de los Diputados, Madrid, Cinco siglos de arte en Madrid (XV-XX), 1991 (ISBN 978-84-381-0161-2), p. 321-324



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