アレクサンドル・ウラソフ (フィギュアスケート選手)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アレクサンドル・ウラソフ (フィギュアスケート選手)の意味・解説 

アレクサンドル・ウラソフ (フィギュアスケート選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/27 16:37 UTC 版)

アレクサンドル・ウラソフ
Alexander VLASSOV
ウラソフと愛娘ジュリア
生誕 (1956-02-25) 1956年2月25日(68歳)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
大会成績
国際スケート連盟主催大会 1 2 3
世界選手権 0 1 1
欧州選手権 0 1 1
合計数 0 2 2
国内大会 1 2 3
ソビエト選手権 1 2 1
獲得メダル
フィギュアスケート
世界選手権
1976 イエテボリ ペア
1977 東京 ペア
欧州選手権
1976 ジュネーヴ ペア
1977 ヘルシンキ ペア

アレクサンドル・ウラソフロシア語: Александр Власов, ラテン文字転写: Aleksandr Vlasov, 1956年2月25日 - )は、旧ソビエト連邦出身の男性フィギュアスケート選手で現在はフィギュアスケートコーチ。1976年インスブルックオリンピックペアソビエト連邦代表。パートナーはイリーナ・ボロビエワ。娘はジュリア・ウラソフ

経歴

1974年世界選手絵に初出場し、6位となった。1975-1976年シーズンの欧州選手権と世界選手権ではともに3位となったが、1976年インスブルックオリンピックではメダルを逃す。翌1976-1977年シーズンの欧州選手権と世界選手権でともに2位。のちイリーナ・ボロビエワとのペアを解消した。

1990年代になり、家族とともにアメリカへ渡りコーチとして活動をはじめ、愛娘のジュリア・ウラソフ&ドリュー・ミーキンス組を世界ジュニアチャンピオンに育て上げた。

主な戦績

大会/年 1971-72 1972-73 1973-74 1974-75 1975-76 1976-77 1977-78 1978-79 1979-80
オリンピック 4
世界選手権 6 4 3 2
欧州選手権 3 2
ネーベルホルン杯 2
モスクワ国際 1 2 3
スパルタキアード 3*
ソビエト選手権 2 3 1 2 4
  • 1974年スパルタキアードの結果は1974年ソビエト連邦フィギュアスケート選手権にも使われた。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アレクサンドル・ウラソフ (フィギュアスケート選手)」の関連用語

アレクサンドル・ウラソフ (フィギュアスケート選手)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アレクサンドル・ウラソフ (フィギュアスケート選手)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアレクサンドル・ウラソフ (フィギュアスケート選手) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS