アルランドとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アルランドの意味・解説 

アルランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 06:35 UTC 版)

Arlempdes

行政
フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) オート=ロワール県
(arrondissement) ル・ピュイ=アン=ヴレ郡
小郡 (canton) プラデル小郡
INSEEコード 43008
郵便番号 43490
市長任期 ジェラール・テステュ
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes des Pays de Cayres et de Pradelles
人口動態
人口 133人
2012年
人口密度 9.7人/km2
住民の呼称 Arlempdois[1]
地理
座標 北緯44度51分58秒 東経3度55分26秒 / 北緯44.8661度 東経3.9239度 / 44.8661; 3.9239座標: 北緯44度51分58秒 東経3度55分26秒 / 北緯44.8661度 東経3.9239度 / 44.8661; 3.9239
標高 平均:?m
最低:769 m
最高:1166m
面積 13.74km2
Arlempdes
テンプレートを表示

アルランドArlempdes[notes 1])は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏オート=ロワール県コミューン

地理

アルランドはル・ピュイ=アン=ヴレの南東27kmのところにある。村は主にその壮大で地理的な位置と、かつて男爵領であった同じ名前の城で知られている。水源からおよそ30kmの位置にある、ロワール川渓谷の底に村が肩を寄せ合っている。火山性の岩脈である岩のてっぺんには、100m下のロワール川を見下ろす城跡が鎮座している。

景観は、時には列柱が並ぶ、見事な玄武岩質の山が低地を見下ろすものである。これは、かつてこの地方で火山活動が活発であった証拠である。

アルランドは1300ヘクタールの面積を持ち、12箇所の村落や集落が分散して1つのコミューンを形成する。村落単体の人口はわずかである。ここは古くてもよく手入れが行き届いた民家がある。

村は、サンテティエンヌで南フランスに接続される国道88号線から7kmの位置にある。

歴史

岩の上の城

アルランドの町はロワール川の蛇行部分を見下ろす位置を占め、複数の谷の間の『錠前』として機能する。従って、自然とこの位置は信仰を集める土地に選ばれ、そのために名前がアルランドとなった。ガリア語のAr(e)-nemetonとは『聖なる土地』(もしくは儀場)を意味した[2]。宗教的な土地であると同時に軍事的な要所であった。

中世初期から、アルランドの岩脈には人が定住していた。サン・ジャック礼拝堂は実際11世紀か12世紀に建設され、そこにはかつて先行して古い礼拝堂があった。ここは住民たちが恒久的に定住するための基盤となった。

城は、1267年のローマ教皇クレメンス4世の教書の中で初めて言及されている。城は12世紀から16世紀まで、多くの変更が加えられ建設されていった。廃墟となったが、地形を利用して城や礼拝堂が岩の上に建てられた。従って、封建時代の要塞としての歴史的な設計図はない。城を囲む城壁は高さ80mの火山性の玄武岩の岩壁につながり、外から上って侵入するのはほぼ不可能である。アルランド城の機能は、城北側との往来を保護することにあり、多くの野望の対象となってきた。

16世紀まで、地方の様々な領主家系が城を支配してきた。この中には、オーヴェルニュ南部じゅうに強い力を持っていたモンロール家、ミラベル家が含まれる。1450年、城の継承者であるモンロール男爵の娘はシャルル・ド・ポワティエと結婚した。やがて城がディアーヌ・ド・ポワティエの財産となると、城の壁には彼女の紋章が刻まれた。彼女が支配者であった頃に風格のある住宅が建設されている。その後、要塞に駐屯する守備隊は地元貴族ゴイス家が再び監督するようになり、王軍の1つとして機能した。

ゴイス家は徐々に城に手を入れなくなっていき、フランス革命直前には完全に放棄された状態となっていた。戦略的な関心が薄れてしまったのである。城はその後崩壊して廃墟となり、人々は残った石材を建設資材として再利用した。1963年、ゴイス家の末裔と愛好家たちが共同で城跡を購入し、修復事業を始めた。

経済

村は主に観光業で成り立っている。4軒の田舎家やレストランをそなえたホテルが1軒あり、観光客を迎えてくれる。コミューン内の村落では農業が行われる。村には18軒の農場があるが、そこでは主に牛乳が生産される[3]

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
270 211 220 182 142 114 129 133

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]

史跡

  • サン・ピエール教会 - ロマネスク様式
  • 石造の十字架 - 15世紀
  • ポテルヌ - 古い門

脚注

ノート

  1. ^ Le p en effet ne se prononce pas. API : /aRlɑ̃d/.


このページでは「ウィキペディア」からアルランドを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からアルランドを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からアルランド を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アルランド」の関連用語

アルランドのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アルランドのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアルランド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS