アブー・サフル・マスィーヒー
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アブー・サフル・マスィーヒー(ペルシア語: ابوسهل مسیحی、971年‐1010年)は、ペルシャの医学者。全名アブー・サフル・イーサー・イブン・ヤフヤー・マスィーヒー・ギルガーニー(ペルシャ語:ابو سهل عيسى بن يحيى مسيحی گرگانی、ラテン文字転写:Abū SahlʿĪsā ibn Yaḥyā Masīḥī Gurgānī)[1]。
マスィーヒーは、イスラーム世界を代表する哲学者、医学者イブン・スィーナーの医学の師とされる[1]。
生涯
マスィーヒーは、ゴルガーンに生まれた。その後、バグダードで学習し、ホラーサーンやホラズムで活躍した。ホラズムでは、ウルゲンチのマームーン朝のマームーン2世の宮廷に参内した。この宮廷にはイブン・スィーナーも参内しており、そこでマスィーヒーと交流し、医学の師となったとされる。マームーン朝を攻めていたガズナ朝のマフムードによりマスィーヒーらホラズムの学者たちに出仕を要求されたが、拒んで西に逃亡した。マーザンダラーンまで逃亡したが砂嵐に見舞われ死亡した[1]。
脚注
参考文献
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