アヌーシュ・テギーンとは? わかりやすく解説

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アヌーシュ・テギーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/09 11:55 UTC 版)


アヌーシュ・テギーンペルシア語: نوشتکین غرچه‎、Nūštekīn Gharcha、? - 1096年もしくは1097年)は、セルジューク朝トルコ人マムルーク(軍人奴隷)[1]。1077年から1097年ごろまでホラズム地方を統治した。彼の子孫はホラズム地方の名を冠する王朝(ホラズム・シャー朝)の君主として、12世紀から13世紀初頭までこの地方を統治した。彼はホラズム・シャー朝の創始者とみなされているが、セルジューク朝に対しての忠誠は失わず、セルジューク朝のスルターンに対して忠勤に励んだ[2]


注釈

  1. ^ タシト・ダールは主人の食事の前後に、主人が料理をつかんだ手を洗うための水を持っていく役割(あるいは監督)を果たした。(勝藤『モンゴルの西征 ペルシア知識人の悲劇』、63頁)

出典

  1. ^ a b C.E. Bosworth "Anuštigin Ĝarčāī", Encyclopaedia Iranica (reference to Turkish scholar Kafesoğlu), v, p. 140, Online Edition, (LINK)
  2. ^ a b ロス、スクライン『トゥルキスタン アジアの心臓部』、178頁
  3. ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』1巻、152頁
  4. ^ ロス、スクライン『トゥルキスタン アジアの心臓部』、178,184頁
  5. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』1巻、152,155頁
  6. ^ 勝藤『モンゴルの西征 ペルシア知識人の悲劇』、63頁


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