アッピアノスの別説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:03 UTC 版)
「ウティカの戦い (紀元前203年)」の記事における「アッピアノスの別説」の解説
リウィウスとポリュビウスの説は、ルキウス・アナエウス・フロルス(Lucius Annaeus Florus)、セクストゥス・ユリウス・フロンティヌスといった、他の古代の歴史家にも支持されている。他方、アッピアノスは、その『ローマ史』において、これとは異なった記述を行っている。スキピオはシュファクスがハスドルバルを救援するのを阻止するため、マシニッサとその騎兵のみを派遣した。他のローマ軍主力はハスドルバルの野営地を奇襲し、脱出路はローマ騎兵が抑えていたため、ほとんどのカルタゴ兵が戦死した。シュファクスがこれを知ったとき、ハスドルバル支援のために騎兵の分遣隊を派遣したが、マシニッサの騎兵に捕捉・殲滅された。スキピオが続いてシュファクスの野営地を攻撃してくることを恐れ、シュファクスは全軍を率いて損害を受けることなく野営地から撤収した。
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