アウグストゥスの家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アウグストゥスの家の意味・解説 

アウグストゥスの家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/31 17:28 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

ドムス・アウグスティ
Domus Augusti
所在地 古代ローマ, 首都ローマ
建設年 紀元前36年
建設者 アウグストゥス
建築様式 公邸

'

アウグストゥスの家ラテン語: Domus Augusti ドムス・アウグスティ)は、イタリア ローマパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にあるローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの邸宅跡。

1世紀末にドミティアヌス帝が建てたドムス・アウグスターナ(皇帝の家)とは隣接しているが全く別の施設であり、アウグストゥスの生家(アウグストゥスの家と表記する資料もある)とも別である。

概要

オクタウィアヌス(後のアウグストゥス帝)は、カエサル暗殺に対する復讐がある程度決着がついた紀元前36年にパラティヌスの丘にあった元老院派クィントゥス・ホルテンシウス英語版の邸宅跡を買い取り、自身の住居とした。アウグストゥスはこの邸宅で伝統的で華美に走らない生活を送ることで、世間に対し権力者の謙虚な姿勢を示した。この邸宅はロムルスの家英語版などローマ建国伝説の地の遺跡にほぼ隣接して建てられていて、その建物は2階建てで、南西側に柱廊に囲まれ池のある庭ペリスティリウムを擁していた。

皇帝伝英語版De vita Caesarum)』を著した帝政ローマ期の歴史家スエトニウスによると“アウグストゥスは謙虚に、慎重に振舞った。当初、フォルム・ロマヌムの近くに居を構えていたが、後にパラティヌスの邸宅に移る。その邸宅は適度な大きさと優雅さを備え、近場で採れた石を使った列柱廊に囲まれた小規模なペリスティリウムを擁し、柱廊に面した部屋は控えめで大理石を敷き詰めるなど華美に走っていなかった。彼は40年間この邸宅で起居した[1]

邸宅は紀元3年に火災で消失[2]し、その後再建され[3]国家資産とされた[4]ネロ帝の時代にも火災で被害を受けたとスエトニウスは記している。

平面図

アウグストゥスの家、ドムス・リウィアエイタリア語版アポロン神殿 (パラティヌス)イタリア語版付近
再現模型(建造物群の左端、薄緑で示されたものがアウグストゥスの家)

参考文献

  1. ^ Suetonius. Augustus 72.1
  2. ^ L. Richardson, Jr.'s A New Topographical Dictionary of Ancient Rome
  3. ^ Suetonius, Aug. 72.2.
  4. ^ Cass. Dio 55.12.4-5

座標: 北緯41度53分21秒 東経12度29分07秒 / 北緯41.889251度 東経12.485254度 / 41.889251; 12.485254




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アウグストゥスの家」の関連用語

アウグストゥスの家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アウグストゥスの家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアウグストゥスの家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS