アイビダ
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アイビダ(漢字: 愛必達、? - 乾隆36年(1771年))は満洲鑲黄旗出身の清朝の政治家であり、湖広総督、河道総督、雲貴総督、浙江巡撫、貴州巡撫などを歴任した高官。鈕祜禄(ニオフル)氏の出身で、後金開国の功臣額亦都(エイドゥ)の曾孫で、エビルンの孫であり、父は尹徳(インデ)。アイビダはその四男。策楞および訥親(ネチン)の弟で、阿里衮(アリグン)の兄にあたる。娘は乾隆帝の妃嬪順貴人。
生涯
筆帖式(清朝の下級文官職)を経て佐領を世襲した。乾隆9年(1744年)、吏部郎中から江西布政使に代理として任命された。その後、江蘇布政使代理として任命され、同時に蘇州織造業務および滸墅関の関税業務も管理した。
さらに貴州布政使に転任し、乾隆11年には山西巡撫に昇進。義倉(貧困者救済のための備蓄米の倉庫)の建設を奏請し、民に利益をもたらそうとした。その後も浙江巡撫、雲南巡撫、雲貴総督、湖広総督といった地方の高官職を歴任した。
しかし、部下をかばったことが原因で罷免され、乾隆28年(1763年)にイリへ左遷された。
著書には、祖父額亦都の事績を記した『弘毅公戦功行略』および地理・風俗に関する記録『黔南識略(全30巻)』がある。
家庭
参考文献
- 『清史稿』
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