「明日香」を創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 01:59 UTC 版)
赤彦の死後、斎藤茂吉についてさらに研鑽を積んできたが、昭和11年(1936年)、「アララギ」を退会し、女性だけの歌誌『明日香』を創刊、主宰した。執筆陣に国文学者、女流作家を加えたばかりでなく、多くの女流歌人を育て、自らも昭和の代表的女流歌人となった。「明日香」の運営は娘の節子、姪の岩波香代子や会員の助力によるところが大きかった。
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