Yak-38 (航空機) 設計

Yak-38 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 05:15 UTC 版)

設計

Yak-36Mの作戦・技術規則(要求)において、同機は「仮想敵の艦艇や地上目標、長距離レーダー偵察機、輸送機、哨戒ヘリコプターを破壊するV/STOL軽襲撃機」として規定されていた[3]

動力

VTOL時の排気の流れ

本機は、推進用の主エンジンとは別に2基の離昇用エンジン(リフトエンジン)を搭載して垂直離着陸を行う方式を採用した。垂直離着陸時には、リフトエンジンの吸入用のエンジン扉とダクト・カバーが開き、前部荷重をリフトエンジンが、後部荷重を回転式の排気ノズルにより推力偏向した主エンジンがそれぞれ負担して、機体のローリングの制御は、エンジンの圧縮機で作られた高圧空気の一部が抽出された後、空気配管を介して主翼両端に装備されたロール制御バルブで制御され、機体のヨーイングの制御は、同じくエンジンの圧縮機で作られた高圧空気の一部が抽出された後、空気配管を介して機体後部に装備されたヨー制御バルブで制御される方式としている。ハリアーのロールス・ロイス ペガサスでは前・後部偏向ノズルがともに主エンジンのパワーに頼るのに対し、本方式の場合は水平飛行時にはリフトエンジンは完全なデッドウェイトになることから、燃料や兵装の搭載量で不利となる。また短距離発進(STO)を行う場合には、ペガサスの場合は単純にノズルの角度を変更すれば良いのに対し、本方式の場合はノズルの角度を変えるだけでなく、主エンジンとリフトエンジンの出力を微調整していく必要があることから、技術的な難度が非常に高くなるという問題もあった。このため、本機は当初はSTOを行わない、純粋なVTOL機として運用されていた[4]

技術的難度克服のため、クリミア半島にあった黒海艦隊サキ飛行場において、精力的にSTO技術の開発が行われた。出力の微調整を手動で行うことは非現実的であり、スロットル操作だけで適切な推力とノズル角度をコントロールする装置の開発が志向された。コンピュータが未発達の当時、これは技術的には非常な冒険であったものの、1978年12月13日より実際のSTOLでの試験が開始され、1979年1月9日までに27回のテストを行ったのち、「ミンスク」での艦上試験に移行した[5]。同年に同艦が極東に回航された際に行われた565回/300時間の飛行のうち、120回はSTOによる発艦であったと記録されている。またこの航海の途上で、低緯度地域の高温・高湿度環境では、特に離昇用エンジンの性能低下が顕著である(酷い例だと、1回の垂直離艦で燃料の3割近くを消費してしまい、その後の飛行可能時間は20分に過ぎなかった)ことが判明し、STO技術の開発が急務であると考えられ、さらに技術開発が進められた。この結果、当初VTOL運用時にはペイロード750kg搭載で航続距離185kmであったものが、短距離離艦/垂直着艦(STOVL)運用とすることで、2トンを搭載して400km、1トンに減らせば600kmにまで延伸された[4]

機体

本機の機体構造の特徴は、実用機としては世界で初めてアルミリチウム合金を大規模採用している点にある。本機で採用されたのは01420と呼ばれる材料で、主翼の上面外板や胴体に採用された[6]

油圧システムとしては、メイン、アクチュエータ、バックアップの3系統に分離されている。メインは補助翼昇降舵・主翼折りたたみに、アクチュエータは降着装置高揚力装置などに用いられ、バックアップはメイン故障時に使用される。作動液としては、メインでは通常の油圧作動油を使う一方で、アクチュエータとバックアップではジェット燃料が用いられるという非常にユニークな手法が採用された。これは燃料のほうが油圧作動油よりも比重が小さく軽量化につながると期待しての措置であったが、実際の重量削減効果はわずかなものであったと考えられており、後継のYak-141では全系統が通常の油圧作動油を用いるように変更されている[6]

ソ連初の実用V/STOL機にして初の艦上機であったことから事故損耗が多発したが、皮肉にもこのような事態が緊急脱出時の射出座席の性能を上げることとなり、原型機のKYa-1Mにかえて、量産機では高性能のK-36射出座席が搭載された。本機で採用されたK-36VMにおいては、VTOLモードの際にピッチとヨーの変化率が規定値を超えた場合、パイロットの操作に関係なく、自動的に射出座席が作動するよう設定されている。これは低高度でVTOLモードを使用中に故障が生じた場合にはパイロットがこれに対応できる時間的余裕が乏しいことから採用された措置であった[6]。計36機が様々な事故で失われたが、うち31機でパイロットが生還している[3]

装備

本機は基本的に昼間攻撃機であり、レーダー火器管制システム(FCS)はもちろん測距レーダーも備えていない。照準装置としては光学式のASP-PFD-21を備えているが、これはMiG-21PFで搭載されたものと同型である[6]

兵装は両翼下4ヶ所(左右2ヶ所ずつ)のハードポイントに搭載される。固定武装は持たず、1980年から胴体下面に装着するVSPU-36ロシア語版ガンポッドGSh-23機関砲と弾丸160発を収容)の試験が開始されたものの、装備化の決定は1989年まで遅れたことから、実際にはハードポイントに吊下するためのUPK-23-250ガンポッド(GSh-23機関砲と弾丸250発を収容)が用いられることが多かった[6]

ハードポイントに搭載される兵装としては、赤外線ホーミング誘導のR-60(AA-8「エイフィド」)短距離空対空ミサイルKh-23英語版(AS-7「ケリー」)無線指令誘導空対地ミサイルS-5ロケット弾、FAB-100、FAB-500無誘導爆弾を運用できた。


  1. ^ Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(2)」『世界の艦船』第636号、海人社、2005年1月、158-165頁、NAID 40006512966 
  2. ^ a b c Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(3)」『世界の艦船』第638号、海人社、2005年2月、104-111頁、NAID 40006572376 
  3. ^ a b c d e Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(4)」『世界の艦船』第639号、海人社、2005年3月、154-161頁、NAID 40006607578 
  4. ^ a b c Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(5)」『世界の艦船』第640号、海人社、2005年4月、154-161頁、NAID 40006644620 
  5. ^ 藤田勝啓「Yak-38運用録」『世界の傑作機No.162』文林堂、2014年、64-67頁。ISBN 978-4893192295 
  6. ^ a b c d e 藤田勝啓「構造とシステム」『世界の傑作機No.162』文林堂、2014年、44-53頁。ISBN 978-4893192295 





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Yak-38 (航空機)」の関連用語

Yak-38 (航空機)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Yak-38 (航空機)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのYak-38 (航空機) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS