高句麗論争 関連項目

高句麗論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 01:39 UTC 版)

関連項目


注釈

  1. ^ 歴史学者井上直樹はこのことから、現代の高句麗史帰属問題の理解において、第二次大戦以前の日本の歴史研究を把握することの必要性を指摘している[5]。ここでは主として井上直樹の整理に基づいて戦前期日本の研究状況をまとめる。
  2. ^ このような歴史学者らの主張は当時の日本政府首脳部の見解と必ずしも一致していたわけではない。山縣有朋田中義一らのように満州経営には消極的な見解も根強く、また満州積極派の見解は対外的な建前の問題から直接的な経営に慎重である場合も多かった[10]
  3. ^ 古くは言語をもって民族の基準とする、という観点はしばしば用いられ、研究者たちの多くは「言語」と「民族」とは基本的に一致するという見解に依っていた[24]。これは現代的観点では誤解を誘発する説明であり、実際には両者の間によくある共通点は「名称」のみである[24]。20世紀半ば以降、「民族」を構成する諸要素である人種・言語・文化といったものは必ずしも一揃いのセットとして伝播・継承されるわけではないことが明らかにされている[25]
  4. ^ 「一史両用論」を金光林は「主流であった」と評価するが、井上直樹は複数あった史観の1つとして言及するに留まる。
  5. ^ 例えば2000年代以降出版された『朝鮮史研究入門』(名古屋大学出版会、2011)、『朝鮮史』(山川出版社、2000)、『世界歴史大系 朝鮮史 1』(2018)はいずれも高句麗を叙述対象とする。
  6. ^ 朝鮮史学者田中俊明は高句麗の「民族」について端的に次のようにまとめている。「高句麗の滅亡後、その故地にはいろいろな民族が興亡する。高句麗の末裔がそれに属していてもおかしくないが、それが高句麗に直結するということにはならない。高句麗は、高句麗で完結するもので、狛族の一部をなすものであったというしかないのである。」[48]
  7. ^ 井上直樹は「このことは高句麗史研究において、現在の国境ではなく、より大きな観点から高句麗史を理解することが必要であることを端的に示しているといえる。それならば、問題を多数内包しているものの、中国東北地方と朝鮮半島を区別することなく、一体的な歴史地理的空間として高句麗史を把握しようとする満鮮史的視座は、高句麗の史的展開過程を考究する上で、有効な視角の一つとおもわれる。それは高句麗の動向を今日の国家という枠組みを超えて巨視的に理解しようとする試みの一つでもある。今日の高句麗史研究が国境を基準とする一国史的史観にとらわれ論及された結果、冒頭で示したようにさまざまな問題を惹起していることを想起すれば、満鮮史的視座は一国史的史観を克服するものとして、再度、考究される余地があってもよいのではないかと考えられるのである。」と述べる[49]。また金は、「国で強まった高句麗=中国史という主張はより開かれた東アジア史観の形成を目指すのではなく、却って伝統的な中華中心の世界観(中華思想)の表出であるといっても過言ではあるまい[50]。」とし、一方で「韓国と朝鮮側にも過剰な民族主義的歴史観、単一民族史観が存在するのも事実である。韓国と朝鮮の両方において高句麗の歴史の中国との独立性、または対立性を強調し、高句麗が中国の歴代王朝と密接に交流していた事実を軽視するのも問題である[51]。」と指摘している。また、古畑徹によると、『三国史記』には、本来は別系統の種族である高句麗を三韓に含めて馬韓=高句麗、弁韓=百済、辰韓=新羅にそれぞれ対応させる歴史意識が見られるが、これは新羅後期にその領内の諸族の融合が進んだ結果、それぞれが同一の種族であるとする認識が生じたことによって出た見解であるとする。「同族」意識が一般化していたとすれば、新羅による「統一」は歴史的に当然の帰結とみなされるのは自明であり、それがこの史実としては虚構の同族意識を成立させていったとする[52]。また、「高句麗人を自らのルーツのひとつと認識している韓国・朝鮮人だけでなく、を建国した満族などの中国東北地方の少数民族もその先祖はその領域内に居た種族の子孫であり、また高句麗・渤海の中核となった人々はその後の変遷を経て漢族のなかにも入りこんでいることが明らかである。したがって、高句麗・渤海とも現在の国民国家の枠組みでは把握しきれない存在であり、かつそれを前提とした一国史観的歴史理解ではその実像に迫り得ない存在」と評している[53]。また、古畑徹は研究動向として、中国・韓国・北朝鮮・ロシアの学界動向を報告し、その中で北朝鮮学界の高句麗・渤海研究を「北朝鮮の高句麗・渤海研究が高句麗・渤海が中国史ではないという点のみに集中し、論証が自己撞着に陥り、学問的に非常に低い水準となってしまっている」とし、「この点は韓国のレベルの高い実証的研究と鮮やかすぎるほどの対比関係をなしていた。」とまとめている。またロシアの研究が考古学的研究に偏り、「文献理解のレベルは1950年代の水準のままである」としている[53]
  8. ^ 韓国において「遼東史」という視座は積極的に議論されているとは言えないものの、井上直樹によればその歴史地理的枠組みが満州史を中国史から分離した戦前日本の議論と極めて似た枠組みを持っている点が注目されるという[56]。このため「遼東史」は一国史の枠組みを脱する新しい試みではあるものの、それを設定するに際しては満州の帰属を巡る戦前の日本と中国の論争なども再検討されるべきであり、課題が残されていると評している[56]

出典

  1. ^ a b 矢木 2012, pp. 258-259
  2. ^ a b 井上 2013, p. 3
  3. ^ 河上 1983, p. 5
  4. ^ 矢木 2012, p. 259
  5. ^ a b c 井上 2013, p. 32
  6. ^ a b 井上 2013, pp. 67-80
  7. ^ a b 井上 2013, pp. 81-90
  8. ^ a b 井上 2013, p. 85
  9. ^ 井上 2013, p. 88
  10. ^ 井上 2013, pp. 99-104
  11. ^ 井上 2013, pp. 120-129
  12. ^ 井上 2013, pp. 130-131
  13. ^ 井上 2013, pp. 136-137
  14. ^ 井上 2013, pp. 147-153, 166-172
  15. ^ a b 井上 2013, p. 174
  16. ^ 井上 2013, p. 188
  17. ^ 井上 2013, pp. 184-187
  18. ^ 井上 2013, pp. 188-195
  19. ^ 井上 2013, pp. 196-197
  20. ^ 井上 2013, pp. 197-198
  21. ^ a b 井上 2013, p. 200
  22. ^ 井上 2013, p. 205
  23. ^ 井上 2013, p. 206
  24. ^ a b 西江 1991, p. 103
  25. ^ 西江 1991, pp. 103-126
  26. ^ a b 井上 2013, p. 228
  27. ^ a b 井上 2013, p. 218
  28. ^ 井上 2013, pp. 186-187
  29. ^ a b 井上 2013, p. 15
  30. ^ 井上 2013, p. 16
  31. ^ a b c d 金 2004, p. 137
  32. ^ 井上 2013, p. 25
  33. ^ 井上 2013, pp. 18-19
  34. ^ 井上 2013, pp. 20-21
  35. ^ a b c 井上 2013, pp. 22-23
  36. ^ 井上 2013, pp. 25-26
  37. ^ a b 金 2004, pp. 139-140
  38. ^ a b 井上 2013, p. 26
  39. ^ a b c d 井上 2013, pp. 26-27
  40. ^ a b c 金 2004, p. 143
  41. ^ 井上 2013, pp. 3-5
  42. ^ a b 金 2004, p. 144
  43. ^ a b c 井上 2013, p. 28
  44. ^ アンダーソン 1997
  45. ^ スミス 1999
  46. ^ a b c d 朝鮮史研究入門 2011, pp. 1-2
  47. ^ a b 矢木 2012, p. 260
  48. ^ 田中 2007, p. 47
  49. ^ 井上 2013, pp. 229-230
  50. ^ 金 2008, p. 10
  51. ^ 金 2008, p. 19
  52. ^ 古畑 1988, p. 34
  53. ^ a b 古畑 2010
  54. ^ a b c 井上 2013, pp. 228-232
  55. ^ a b 井上 2013, pp. 233-236
  56. ^ a b c 朝鮮史研究入門 2011, pp. 29-31


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