騎手 騎手の引退・殉職

騎手

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 10:31 UTC 版)

騎手の引退・殉職

騎手の仕事は肉体労働であり、加齢によって筋力や反応速度などが低下し、また基礎代謝の低下により体重・体力を維持し続けることが困難になることなどから、騎手としての責務を果たすことが難しくなっていく。また優勝劣敗の厳しい世界であり、成績と収入の両面で伸び悩んだ騎手はもとより、リーディング上位の常連として一時代を築いた騎手であっても全盛期を過ぎ騎乗数・勝利数・入着率、そして獲得総賞金額が減ってくれば収入は下がって行く。

従って一生にわたって騎手の仕事を続けることは難しく、本人が限界を感じたときなどに騎手としての免許・ライセンスを返上して引退し、何らかの形で第二の人生を歩むこととなる。例えば騎乗依頼が減り、収入が減ってくると年齢にかかわらず引退することもある。自分が所属していた厩舎の調教師が数年後に定年を迎えるなどの事情がある場合、その厩舎を引き継ぐ目的で調教師への転身を図ろうとする、すなわち調教師免許試験を受験する者もいる。リーディング上位の騎手であっても、支えてくれていた調教師や有力馬主の死去・撤退など、後ろ盾となる人間関係がなくなり成績・獲得賞金額が低下したことをきっかけに、騎手からの引退を検討する者は少なくない。

他方、騎手デビュー以降に予定外に身体の成長が続き、その結果として身長・体重が増加し若くして体重管理に苦しみ、負担重量などの問題から減量が自己管理の限界を超えて引退を余儀なくされる騎手も少なからず見られる。その中には、20代前半の若さであっても体重の問題で騎手業の継続が事実上不可能となり引退する者も少なくない。その中にはデビュー当初から優れた実績を挙げ才能を期待されていた人物も見られる。日本では中央・地方いずれにしても体重の下限が53kgを超えると、装備品などの重量の都合もあって下級条件戦や2歳戦での騎乗が困難になることが多い。JRAの場合は57kg程度で体重増加が止まれば、障害競走限定の免許を保持する騎手として活動を継続することが可能な場合もあるが、騎乗機会は大幅に限定される。さらに過酷なのは障害競走がない地方競馬で、体重と斤量の問題がそのまま騎乗困難に直結し若くしてやむを得ず引退を決断する者が少なからず見られる。さらには、過酷な減量を余儀なくされ、その連続の末に心身に変調を来たす騎手や、脳梗塞がんなど重篤な疾病を発症して倒れ、引退を余儀なくされるケース[注 8]や、腎臓結石などの減量を著しく困難にする疾病を発症して長期的な健康面の観点から引退するケースも見られる。他方では落馬事故などにより現役騎手として復帰が難しく断念せざるを得ないケースもあれば、不祥事により法的に競馬関与禁止・停止処分や騎手免許が取り消しされたり、主催者による免許更新が許可されず、強制的に引退に追い込まれるケースもある。

騎手免許を返上した人物の第二の人生としては調教師調教助手厩務員などまず厩舎関係が第一に挙げられる。その他では後進の騎手の育成に携わる者、牧場での競走馬の生産・育成や競馬解説者・競馬予想家・馬運車・競走馬用飼料販売などの競馬周辺の産業に携わる者、さらにはまったく異なる職業に転身する者などさまざまである。特に中央競馬においては、負傷や不祥事以外で騎手を引退した者が引退と同時にJRAの組織から籍を抜き、競馬とは全く無関係の職業に転職するというケースは珍しく、まず縁のあった調教師を頼りその厩舎に一旦籍を置き調教助手になるという形で、その後厩舎スタッフとしての適性を見極めながら、改めてJRAの中でホースマンとして活動を続けるか、あるいはJRAの枠から飛び出して新天地を求めるかなど、身の振り方を考えるというスタイルが一般的である。前述の通り、騎手免許を返上した者でも騎手免許試験を受験することは可能であり、一度は調教助手に転業した柴田未崎のように騎手に復帰した事例もあるが、このような事例は世界的に見ても非常に少ない。調教師の仕事は騎手の仕事とは本質的に異なるため、佐々木竹見 (NAR) や岡部幸雄 (JRA) などは調教師への転身の道を選ぶことなく引退したが、この両名にしてもその後は統括団体に関与する形でホースマンとしての活動を続けている様に、騎手引退後に騎手時代の蓄えでそのまま悠々自適の余生に入るというケースはほとんどないに等しい。地方競馬では特殊な例として、かつての兵庫県競馬組合のように、他の競馬場から移籍する騎手については、一定期間騎手免許を返上させたうえで厩務員として従事させ、その後に騎手免許を再取得させる内規も存在した(2024年現在は騎手免許を返上せずに「一定期間の研修期間」を経て、同組合へ移籍する事が可能となった)。

他のスポーツの選手に比べれば純粋に身体的な能力を要求される要素は低く、勝ち星と収入を安定して確保し続けられる騎手は年齢を問わず第一線に留まることができる。また、日本の場合、騎手には定年制度がないため、視力低下や体重増加の問題が小さく騎手免許の更新に支障がない人物の場合、騎手としての能力を発揮できる限界年齢は比較的高く、歴代のリーディング上位騎手の中にも50代まで騎手業を続けた者は少なからず見られる。金沢競馬場などに所属した山中利夫は62歳まで騎乗を続けた(2012年7月引退)。2000年には中央競馬の調教師であった内藤繁春(調教師以前は騎手を勤めていた)が翌2001年2月で中央競馬での調教師の定年を迎えることを期に、69歳で騎手免許試験を受験したことがある(結果は不合格[注 9])。

他方で、競馬の競走では競走馬のスピードは時速約60 km/h 以上にも達し、それだけのスピードを出した競走馬から落馬したり走行中の馬に接触すれば重度の障害が残ることや、重傷・死亡に至る、場合によっては即死する危険がある。事実、競走中に発生した事故によって松若勲 (JRA) のように即死、あるいは岡潤一郎 (JRA) や佐藤隆船橋)、柳田泰己(ニュージーランド)[28]のように事故後加療の末に死亡した例、福永洋一 (JRA) 、坂本敏美名古屋)、藤井勘一郎(オーストラリア→JRA)[29]の例のように重篤な後遺症が残り再起できなかった騎手もいる。一方で、石山繁常石勝義高嶋活士(いずれもJRA)の例のように、重度の障害を負って引退を余儀なくされた後に、障害者スポーツへの転向をする騎手もいる(石山、常石、高嶋はいずれも脳挫傷を負い、障碍者馬術に転向。高嶋は2020年東京パラリンピックのパラ馬術競技個人グレード4に出場している)。一方で安田隆行 (JRA) のように落馬で一時は脳挫傷を負いながらも完治して騎手に復帰した事例も存在する。

大型動物のサラブレッドを扱う職業であるだけに、レース中以外でも調教中の落馬の他、馬に蹴られる・踏まれるなどの事故も少なからず付きまとう[注 10]


注釈

  1. ^ [7]による。ただし、2009年までは「過去5年間に中央競馬において年間20勝以上の成績を2回以上収めた地方競馬所属騎手」については異なる内容の試験が行われていたが、2010年以降は「申請年を含む3年間に中央競馬において年間20勝以上の成績を2回以上収めた地方競馬所属騎手」について、実地の騎乗技術試験を省略するのみとなった。
  2. ^ その反面、実戦の場でより厳しい生存競争が待つということであり、例えば豪州の場合、騎手には日本のJRAのような副業禁止規定がないことから、騎手としての収入だけで生活できない者は牧場勤務や店員など様々な副業を行う。
  3. ^ 日本における免許制度で記載したように下限は16歳である。
  4. ^ 大久保の場合は、大学に通っていたのは1950年代後半で、現在のような騎手の調整ルームでの前日集合という規則はまだなく、さらにJRAの場合、トレーニングセンター開設以前の競馬関係者の本拠地は市街地の競馬場であり、若い競馬関係者が夜学に通うことは可能であった。
  5. ^ 川合の場合は、騎手デビューの1年後に所属厩舎の許可を得て滋賀県内の夜学(定時制の高校)に通っていたが、当時の規則上競馬の仕事と学業との両立が難しく、出席日数不足で高校を自主退学した。その後フリーの騎手となり、1999年8月3日より6日まで実施された旧・大学入学資格検定を受検して一発合格した後に、立命館大学を受験して合格し、2000年4月より2004年の3月まで現役騎手を続けながら同大学に通っていた。大久保は同大学の先輩に当たり、また、川合は競馬学校世代の騎手で唯一の大学卒業者でもあった。
  6. ^ 代表例として、JRAの蛯沢誠治西田雄一郎は不祥事により一時的に騎手免許を返上、数年後に再取得している。
  7. ^ 地方競馬の例として兵庫県競馬組合では、他の競馬場から転入する際には、騎手免許を一時的に返上させられ、厩務員として6か月から1年の間従事し、騎手免許を再取得する内規があり、有馬澄男北野真弘中越豊光といった実績のあった騎手も例外がなかった。ただし、岐阜県地方競馬組合から移籍した川原正一については所属予定であった曾和直榮調教師の尽力もあって、騎手免許を保持したまま厩務員として従事し、約半年後に騎乗を再開する特例が認められた。その後、関係各所の申し合わせにより「移籍騎手は3か月間の研修期間が必要」との規定に緩和され、騎手免許も返上する必要もなくなった。以降は他場から移籍した松木大地(高知競馬)、井上幹太山本咲希到(以上、ホッカイドウ競馬)にこの規定を適用されている。
  8. ^ 落馬事故に起因する以外の疾病で、現役騎手のまま死去したケースとして松本善登中島啓之、柿元嘉和などの例がある。
  9. ^ 仮に合格していたら、内藤が最高齢騎手(ただし、前述の通り過去に騎手経験があるため、厳密には騎手復帰)ということになっていた
  10. ^ 調教中の事故で負傷し、引退を余儀なくされたケースとして山田敬士などの例がある。
  11. ^ 小牧の実娘の場合は、小牧太のほか坂井瑠星荻野極も担当している。
  12. ^ 後藤は2011年のバレットの募集の際は自身のTwitter(2011年10月28日に閉鎖)で行っていた。

出典

  1. ^ 藤田伸二『競馬番長のぶっちゃけ話』宝島社、2009年。ISBN 9784796672368 
  2. ^ 平成28年度 調教師及び騎手免許試験要領” (PDF). 日本中央競馬会 (2015年8月5日). 2015年10月27日閲覧。
  3. ^ a b c 調教師・騎手免許試験関係公示 平成27年度第1回調教師・騎手免許試験” (PDF). 地方競馬全国協会 (2015年7月21日). 2015年10月27日閲覧。
  4. ^ a b c 調教師・騎手免許試験関係公示 平成27年度第2回調教師・騎手免許試験” (PDF). 地方競馬全国協会 (2015年7月21日). 2015年10月27日閲覧。
  5. ^ 沖縄の復帰に伴う農林水産省令の適用の特別措置等に関する省令第19条により、沖縄の法令の規定により禁錮以上の刑に処せられた者も対象。刑法第34条の2により、刑期満了後に罰金以上の刑に処せられないで10年を経過した時は、欠格事由の対象外となる。
  6. ^ a b “御神本、異例の免許失効 大井トップジョッキーが更新試験で不合格”. スポーツニッポン. (2015年3月18日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/03/18/kiji/K20150318010001790.html 2015年10月27日閲覧。 
  7. ^ 平成22年度 調教師及び騎手免許試験要領” (PDF). 日本中央競馬会 (2009年8月5日). 2015年10月27日閲覧。
  8. ^ a b c d e 平成26年度 調教師及び騎手免許試験要領 - JRA・2013年8月7日
  9. ^ デムーロがJRA騎手免許1次試験を受験 - 日刊スポーツ・2013年10月2日
  10. ^ 2015年度 調教師・騎手免許試験合格者 - 日本中央競馬会・2015年2月5日
  11. ^ M・デムーロ、ルメールが合格 外国人初、JRA騎手免許試験 - スポニチアネックス・2015年2月5日
  12. ^ バルジュー騎手がJRA騎手試験2度目の挑戦へ! 世間認識と異なる「目的」と合格の可能性は? - ギャンブルジャーナル
  13. ^ ミカエル・ミシェル騎手、JRA騎手免許試験不合格 夢実現は来年以降に持ち越し - 日刊スポーツ 2023年10月5日
  14. ^ モレイラ涙…JRA騎手免許不合格「大きなパンチ受けたよう」 - Sponichi Annex 2018年10月11日
  15. ^ JRA所属初の外国人騎手誕生 ルメール、猛勉強実り一発合格! - スポニチアネックス・2015年2月6日
  16. ^ 今村聖奈騎手「『お友達になろう』という気持ちで」初騎乗テイエムスパーダに寄り添う/CBC賞”. 日刊スポーツ (2022年6月29日). 2022年6月29日閲覧。
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  19. ^ 【JRA新規騎手】坂口智康調教助手は2度目の受験で合格「障害界を盛り上げていきたい」 - サンスポZBAT! 2024年2月6日
  20. ^ Mデムーロ、騎手免許試験へ日本語猛勉強 - 日刊スポーツ・2013年9月6日
  21. ^ モレイラ騎手、JRA騎手免許一次試験で不合格 - JRA-VAN Ver.World 2018年10月12日
  22. ^ 騎手会所属騎手制度の導入等について 南関東4競馬場公式ページ 2012年3月30日付
  23. ^ 【地方競馬】兵庫競馬でも騎手会所属制度 広瀬航がフリー第1号 - デイリースポーツ online 2022年4月21日
  24. ^ 藤田伸二氏、ホッカイドウ競馬で騎手復帰目指す - スポーツ報知
  25. ^ 藤田氏は騎手復帰ならず 1次試験不合格で完全引退「もう受けるつもりはない - デイリースポーツ online 2017年9月26日
  26. ^ 小牧太が古巣・兵庫復帰を目指す 地方騎手免許試験受験へ「新たに挑戦しようと思って」 - Sponichi Annex 2024年4月11日
  27. ^ JRA通算910勝の小牧太騎手が古巣・兵庫に復帰意向 地方→JRA→地方の再移籍は史上初 - スポーツ報知 2024年4月11日
  28. ^ ニュージーランド競馬の柳田泰己騎手が死去、28歳 3日のレースで落馬、意識戻らぬまま - スポーツニッポン 2022年8月9日
  29. ^ 藤井勘一郎騎手が笑顔で引退セレモニー「最高の気分、競馬が大好き」/京都競馬場 - 日刊スポーツ 2024年2月17日
  30. ^ 【求人情報】石橋脩騎手のバレットを募集します! - netkeiba.com 2021.06.04
  31. ^ a b c 日刊ゲンダイ 2017年5月28日号(同年5月27日発行分)10面、31面
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  33. ^ 【新春企画】小牧親子対談!誰も知らない“小牧太”が明らかに”. netkeiba.com. 2017年1月15日閲覧。
  34. ^ 永島まなみ騎手活躍の影に姉の存在あり バレットのみなみさん「落ち着ける場所であれば」 - UMATOKU 2023年3月28日
  35. ^ 【新規連載のお知らせ】現役ジョッキーの“愛ある鬼嫁”が描く、夫の奮闘と家族の姿! - netkeiba.com 2023年4月16日
  36. ^ 同社HPより
  37. ^ 週刊ギャロップ隔週連載「吉井慎一の武豊バレット日記」(連載終了)
  38. ^ 歌手の武藤彩未が「美味しい競馬」出演「勉強になりました」 父は元JRA騎手で現調教師、弟も騎手 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年9月10日閲覧。





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