阪堺電鉄
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特記事項
1944年(昭和19年)3月27日に阪堺電鉄株式会社は、大阪市に買収され、芦原橋 - 浜寺間の軌道事業を含む全事業を大阪市に譲渡し、会社を解散したが、近畿日本鉄道(当時)[9]南海線及び、近畿日本鉄道(当時)阪堺線と路線が重複して採算性が見込めない湊ノ浜 - 浜寺間は、大阪市電阪堺線として運行される事なく買収と共に休止となり、1945年(昭和20年)8月15日付でそのまま廃止された。 JR大阪環状線芦原橋駅西側の跨道橋には「架線支持」用の金具が、宝橋通~北加賀屋間には当時の架線柱がまだ現存している。 架け替えられる以前の「住之江橋」(現「住之江大橋」)には、架線柱が1980年代まで現存していた。
関連項目
大阪市営化以後の阪堺電鉄の軌道事業については、大阪市電阪堺線を参照。
参考文献
- 武知京三『近代日本交通労働史研究』日本経済評論社、1992年、179-197頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『株式会社年鑑. 昭和18年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 1919年9月設立、目的土地建物売買賃貸運河経営『日本全国諸会社役員録. 第30回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 「軌道特許状下付」『官報』1922年7月11日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 積善銀行事件の波紋堂島帳簿検査結果『大阪朝日新聞』1922年12月5日神戸大学図書館新聞記事文庫
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1928年7月19日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 「軌道譲渡」『官報』1944年3月31日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 1944年6月に南海鉄道は関西急行鉄道と合併して近畿日本鉄道となったが、戦後の1947年に南海線・阪堺線など旧南海鉄道の路線は高野山電気鉄道に譲渡されて近畿日本鉄道から分離され、南海電気鉄道となった。
固有名詞の分類
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