長谷川路可
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 15:18 UTC 版)
参考文献
- 長谷川路可:「ブルターニュの印象」『アトリエ』四巻三号(1927年)
- 長谷川路可:「フレスコ壁画の実験について」『アトリエ』十六巻三号(1939年)
- 長谷川路可:「チヴィタヴェッキヤ壁画の由来」『カトリック生活』二月号(1961年)
- 小林珍雄:『岩下神父の生涯』中央出版社(1961年)
- 小田部胤明:『戸塚神父の生涯』中央出版社(1967年)
- マリアノ石井:「日本二十六聖殉教者壁画ー長谷川路可氏を偲んで」『聖母の騎士』四三五号(1971年)
- 金山政英:『誰も書かなかったバチカン』サンケイ出版(1980年)
- 長谷川路可:『長谷川路可画文集』求龍堂(1989年)
- 高三啓輔:『鵠沼・東屋旅館物語』博文館新社(1997年)
- 喜井豊治:『戦後日本のモザイク』モザイク会議広報誌「Mosaic」vol.4(1999年)
- 有田巧:『長谷川路可・フレスコ画「アフロディーテ」の移設』會津八一記念博物館研究紀要 第1号(2000年)
- 臺信祐爾:『東京国立博物館保管中央亞細亞画模写と長谷川路可』東京国立博物館『MUSEUM』第572号(2001年)
- 有田巧:『長谷川路可のフレスコ画〈1〉〈2〉』會津八一記念博物館研究紀要 第4〜5号(2003年〜2004年)
- 片岡瑠璃子:「西洋の中の日本〜カトリック教会堂の壁画を中心に〜」『西洋の中の日本、日本の中の西洋』長崎純心大学比較文化研究所(2006年)
- 原田恭子:『路可先生 最後のローマ=一九六七年』私家版(2008年)
関連項目
外部リンク
- 『流さるる教徒』
- 『切支丹曼荼羅』
- 日本で最初のフレスコ壁画 - ウェイバックマシン(2010年9月11日アーカイブ分)
- malpelo61's photostream
- ^ 渡部 瞭. “長谷川路可伝下(長谷川路可 生誕110周年、没後40周年記念特集)”. kugenuma.sakura.ne.jp. 鵠沼を語る会. 2020年9月15日閲覧。
- ^ 「フレスコはとくにアメリカで多く用いられていますが、フランスではプチバレーのフレスコ壁画をえがいたボードアン教授を招へいして1923年にはパリー郊外のフォンテンブローに、ひじょうに大きな完備したフレスコの研究所が建てられました。たまたま私はそのころフランスに遊学していましたので、機会を得て、フォンテンブローの研究所に通うことができました。そこは全く古典的な伝統をうけついだフレスコ技法を教えるところでした。(「壁画のはなし」『女性と教養』昭和33年9月号)」 有田巧:『長谷川路可のフレスコ画〈1〉』會津八一記念博物館研究紀要 第4号(2004年)p86
[前の解説]
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