越前騒動 その後

越前騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 00:18 UTC 版)

その後

幕府では、若年の藩主忠直の統率力不足が騒動を招いたこと、また、本多富正一人では大藩の運営に支障が出ることを懸念し、富正の叔父である本多重次の実子・本多成重を北ノ庄藩の追加の付家老とし、今村の居城であった丸岡城に配して、本多富正と共に忠直を補佐させた。

関連作品


  1. ^ 牧野は高野山にて剃髪蟄居
  2. ^ 「南條郡史」
  3. ^ 元・北条氏照配下の由木氏。
  4. ^ 「万端の用人」と評された富正だが、弁舌には優れていなかったらしく、この裁定の場での評価でも「容儀振はず辯舌亦優れず」(「弁舌に優れず」「冴えない」)旨が記録されている。故に正信と富正が事前に示し合わせの上で書面を作成してあったと思われる。
  5. ^ 公式文書の書面の末尾連名において、今村が富正より上位に署名しているものが現存する。
  6. ^ のち嫡男は越後高田藩の松平忠昌に仕官し、忠昌が忠直の跡を相続したため、越前国に復帰した。
  7. ^ 子孫は仙台藩士に召し抱えられた。
  8. ^ 信濃真田信之預け、とも。
  9. ^ 死罪とも。
  10. ^ その後、徳川忠長に仕官。子の直重も忠長に仕えたが、のち忠直の次の松平忠昌の代に越前家に帰参した。
  11. ^ 和泉堺に蟄居とも。のち紀州藩徳川頼宣に仕官し「落合主膳」と名乗った。





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