神原泰 神原泰の概要

神原泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 08:13 UTC 版)

日本鉄道会社勤務の神原伊三郎の三男[2]。母・夫見子は正親町家の出身で[3]正親町公和園池公致は従兄弟に当たる[4]

当初詩人として活動をはじめるも、絵画へも展開し1917年に二科展に出品。詩人であったという関係もあり、未来派に触れ傾倒する。1920年には、『第一回神原泰宣言書』を発表した。1922年、古賀春江中川紀元横山潤之助、山本行雄らと「アクション」を結成。1924年、アクション、MAVO、未来派美術協会が合流する形で、「三科」を結成するに際し、結成に参加した。この時期の代表作には「クリアビンの『エクスタシーの詩』に題す」(油彩、1924年)がある[5]

三科は短期間の活動(1925年解散)だったが、続けて1925年、矢部友衛、岡本唐貴らと「造形」を結成するも、改組に伴い、1927年脱退。 以降は絵画制作から離れた。東亜燃料工業(現・東燃ゼネラル石油)に勤務し、世界石油会議日本国内事務局長も務めた[1]。神原泰は1997年に死去している。

代表絵画作品

  • マリアとキリスト(1923年)
    • キリストを抱くマリアを、極めて抽象化された曲線によりカラフルに描いている。
  • スクリアビンの「エクスタシーの詩」に題す(1924年)
    • 極彩色の、雲や渦を思わせる抽象画。

主要展覧会

  • 1920年代日本展/東京都美術館・愛知県美術館・山口県立美術館・兵庫県立近代美術館/1988年
  • アクション展 大正新興美術の息吹/有楽町朝日ギャラリー・北海道立函館美術館・長野県辰野町立郷土美術館/1989年
  • 日本の抽象絵画 1910-1945/板橋区立美術館・岡山県立美術館・姫路市立美術館・京都府京都文化博物館・北海道立函館美術館・秋田市立千秋美術館/1992年(美術館連絡協議会など主催)

主要著書

  • 新しき時代の精神におくる/神原泰/イデア書院/1923
  • 芸術の理解/神原泰/イデア書院/1924
  • 未来派研究/神原泰/イデア書院/1925年
  • 新興芸術の烽火/神原泰/中央美術社/1926

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