石見寺 (四万十市) 概要

石見寺 (四万十市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/04 14:37 UTC 版)

概要

縁起によれば、創建は大同年間と記されている。弘法大師開山とされ、往古は幡多郡真言宗の総本山で末寺が25もあり延光寺も末寺であった[1]。一条氏の時代は、この寺を比叡山延暦寺にみたてた鎮守寺であった[2]。その一条氏の時代は四国八十八ケ所霊場の随一であり第39番札所であったが城下に遍路が入るのを嫌い札所を返上、平田村寺山延光寺に移したたと伝えられる[1]。明治時代に入ると廃仏毀釈により明治4年(1871年)に廃寺となったが、明治27年(1894年)に安芸郡川北村の長正寺を移して寺号を改称することにで再興した[2][3]

旧中村市を一望出来る場所にあり、山内一帯にミニ八十八ケ所がある。また、桜の名所である[1][3]

境内

  • 山門
  • 本堂:本尊が拝顔できる。
  • 大師堂:大師像が拝顔できる。脇に大日如来と興教大師
  • 地蔵堂:ぼけ封じ地蔵堂と水子地蔵堂がある。

交互通行にて、信号機が設置されている車道を上がると10台ぐらいの駐車場があり、そこから少しの階段を上がると山門があり境内に至る。正面に本堂があり、右手に大師堂、左すぐに鐘楼がある。納経所は左に進んだ本坊脇にある。なお、一般の駐車場から境内へは、車道が急で細いため経験豊富なタクシーでのみ乗り入れは許可されている。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:15台

画像

前後の札所

新四国曼荼羅霊場
55番 鳳彩寺 ---- 56番 石見寺 ---- 57番 観音寺

脚注


  1. ^ a b c 「石見寺の櫻」『土佐史談』第71巻、土佐史談会、1940年7月、71頁、ISSN 0288-0733NDLJP:7913047/39 
  2. ^ a b 中村市史編纂委員会 編『中村市史』 続編、中村市、1984年、679-680頁。ISSN 0288-0733全国書誌番号:85011393 
  3. ^ a b 『高知県誌』高知県誌刊行会、1933年、768頁。ISSN 0288-0733NDLJP:1241880/414 


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