男装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 06:42 UTC 版)
自己防衛等としての男装
歴史上ではハトシェプストや女教皇ヨハンナ、ジャンヌ・ダルク、ジョルジュ・サンド、川島芳子、田島勝太郎など、自己防衛や威力誇示、政治的な理由や、男の子の代わりとして育られたために男装をした場合もある。
身分偽装のための男装
13世紀にジェノバの大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが各地の聖人の伝承を収集した『黄金伝説』には、男装し男性と偽って修道院で修行に励んでいた女性修道士が、姦淫の疑いをかけられ赤ん坊を押しつけられた上で追放され、死後女であることが判明し聖女と呼ばれるようになった、という類話が「聖女マリナ」をはじめ、いくつか収録されている[2]。このモナコパルテノス(童貞聖女、修道士処女)のモチーフはオリエントに起源があると言われ、古くからキリスト教の聖譚によく見られる[2]。
19世紀に活躍した軍医のジェームズ・バリー(1799~1865)は、男装をしてスコットランドのエディンバラ大学に医学生として入学し、12歳で卒業するとロンドンで外科医として働き始めた。1813年に14歳で軍医として英国陸軍に入隊すると、1816年には南アフリカのケープ州知事の侍医に任命され、フローレンス・ナイチンゲールよりも早く、軍病院内の待遇改善に取り組んだ。バリーはクリミア戦争中にナイチンゲールと邂逅しており、馬上のバリーから大目玉を食らったナイチンゲールは、後に「彼女は私が知る限り、陸軍で一番の強者だったと言わざるを得ない」と述懐している。1822年には軍医監に昇進し、病院総監としてカナダに赴任して軍歴を終えたが、男装がバレた事は2度しかなく、1度目は軍医時代だった1840年代、不注意で男装を解いて就寝していた所を同僚の男性士官2人に見つかったが、他言しないと誓約させて事なきを得た。2度目はロンドンで死去した直後、同僚の軍医が死亡を確認した後、遺体を整えるために呼ばれた雑役婦が指摘して、彼女が男装をした女性であることが初めて明るみになったという[3]。
中国の伝説の男装の女戦士木蘭。京劇やディズニーアニメの題材にもなった。
男装での体型補正
演劇やコスプレなどで男役をやる際、乳房を平らに見せて、より男性の体型に近づけることも多い。
胸を平に見せる方法はさまざまだが、ガムテープ・さらし・腰用サポーター・ナベシャツ(専用の補正下着)、Bホルダー(男装用の胸つぶし)などで胸部を締め付けて押さえる方法が多くとられる。
- 1 男装とは
- 2 男装の概要
- 3 文学における男装
- 4 自己防衛等としての男装
- 5 少女マンガにおける男装
- 6 関連作品
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