牛尾城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 08:14 UTC 版)
概要
牛尾城は、牛尾氏によって築かれた山城。牛尾氏が有力国人として尼子家中で重きをなしたため、同氏の居城である牛尾城も尼子十旗の一つに数えられた。
構造
両脇を深い谷で囲まれた尾根の先端付近に占地し、最高所の三笠山までの尾根上に郭が連なる。山頂の郭には尾根筋側に土塁が存在し、この郭が主郭と考えられている。
牛尾城の背後に続く尾根筋は八雲山を経由して熊野城に繋がり、両城は尾根伝いに連絡していた[要出典]。
沿革
- 応仁の乱後、京極氏に従った牛尾氏により築城された。
- 天文11年(1542年)、大内氏が出雲に侵攻すると、牛尾幸清は富田城の守備に当った。
- 永禄6年(1563年)、毛利氏が富田城に迫ると、幸清・久信父子は富田城に入った。
- 永禄9年(1566年)、城内の兵糧が底を突き、幸清・久信父子も毛利氏に降った。
- 永禄12年(1569年)、挙兵した尼子残党勢に牛尾幸信が合流し、牛尾城に拠った。
- 元亀元年(1570年)、布部山の戦いで尼子勢は惨敗を喫し、牛尾城も毛利輝元に攻められ落城した。
関連項目
固有名詞の分類
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