源時光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/25 06:09 UTC 版)
経歴
その本拠地は不明であるが院政期に京武者として活動したことが史料上より確認できる。主殿助であった久安3年(1147年)には伊勢平氏と祇園社神人との諍いに端を発した祇園闘乱事件に際し平盛兼、平盛時、源親弘、源義康らと共に延暦寺衆徒の入京阻止に投入されている(『本朝世紀』同年7月24日条)。仁平3年(1153年)には賀茂祭の供奉を務め、この時右馬助であった(『本朝世紀』同年4月14日条)。保元2年(1157年)、豊後守に任ぜられる(『兵範記』同年6月25日条)。
なお、『平治物語』に源光保・光基らと並び陽明門を守備する武士の一人としてその名がみえていることから、その後の平治の乱にも参加した可能性が高いと考えられる。また『尊卑分脈』の記述によれば、兄や子息たちと共に上西門院の家人となっていたという。
系譜
- 父:源淳国
- 母:不詳
- 妻:不詳
参考文献
関連項目
- 1 源時光とは
- 2 源時光の概要
- 源時光のページへのリンク