林胡 林胡の概要

林胡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 07:32 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

代から戦国時代にかけて、主要な北方遊牧民族に林胡と楼煩がいた[5]

文公の時代、林胡は晋の北方(現在の山西省北部)に活動し楼煩と接したが、後に、東へ移動しの北方(現在の河北省北部)へ移った。

武霊王の時代、は軍事力が強大となり、北の林胡、楼煩を破り、雲中雁門の3郡を設置すると、林胡はオルドス地方東部へ逃れた。その後、趙の武将李牧に敗北すると、単于は逃亡し、これより林胡は姿を消す。

代の詩、張謂『同孫構免官後登薊楼』[6]に「猶希虜塵動,更取林胡帳(外敵の動きが盛んならば、林胡の天幕を取って手柄としたいもの)」とあるように後代にも林胡への言及はある。

現代における研究

代に記録の残る兀者は、林胡の後裔と考えられている[要出典]


  1. ^ 王力: http://www.eastling.org/OC/oldage.aspx
  2. ^ 王力: http://www.eastling.org/OC/oldage.aspx
  3. ^ 王力: http://www.eastling.org/OC/oldage.aspx
  4. ^ 司馬貞『史記索隠』如淳の引用:“林胡即儋林,為李牧所滅也。”。
  5. ^ 史記』:“晋北(現在の山西省北部)有林胡、楼煩”。
  6. ^ 全唐詩』巻197(訳者)


「林胡」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「林胡」の関連用語

林胡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



林胡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの林胡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS