東武デハ5形電車 晩年

東武デハ5形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 07:59 UTC 版)

晩年

長年にわたって本線(伊勢崎線・日光線)や東上線といった幹線系統における主力車両として運用された本系列であったが、その後の新型車と比較すると徐々に見劣りする存在になりつつあった。特に観光客に荷物電車と間違えられることすらあったという鈍重な外観や接客設備の著しい陳腐化は隠しようもなく、サービス向上のための対策が急務であった。そのため、1964年(昭和39年)より、本系列のうち32系に属する車両を対象として、主要機器を流用し2000系類似の18m級車体を新製して載せ替える形で3000系への更新工事が開始された。なお、本系列を含めた32系各形式の3000系への更新対象車は計133両であり、3000系は電動車・制御車(付随車)の2両単位で編成されることから、制御車(付随車)が1両不足することとなった。そのため、モニ1170形1170を名義上の種車として付随車を1両追加製造し、不足分を補っている[注釈 9]

32系に属する本系列各形式の更新が実施される一方、更新工事進捗に伴って荷物車および郵便車の不足が生じることへの対策と、将来的な旅客列車の荷扱廃止・客貨分離を目的として、1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけてモハ1400形全車を対象に荷物電車(荷電)化改造が施工され、郵便・荷物合造車がモユニ1490形へ、荷物専用車がモニ1470形へそれぞれ改称・改番された。

改番対照
旧番 荷電化改造後
モハ1402 モユニ1491
モハ1403 モニ1473
モハ1405 モニ1474
モハ1406 モニ1475

なお、前述事故復旧に際して片運転台構造となっていたモハ1406については、荷電化改造時に再び両運転台構造に改造されている。また、荷電化改造に際しては大正14年系に属するモハ1401・1402も対象となってモニ1471・1472と改称・改番され、モハ1400形は形式消滅した。

また、これら荷物電車の就役に伴って従来在籍した合造車の荷物室は不要となったことから、更新時期を迎えていなかった54系に属する車両を対象に荷物室の撤去が1969年(昭和44年)に施工された。

改番対照
旧番 荷物室撤去後
モハニ5471・5473・5474 モハ5471・5473・5474
モハユ5490 モハ5490

改造は前述クハ410形411・412(元クハユ290形297・298)と同様の内容で施工されたが、改造後の側面窓配置はクハ410形がdD7D7D1であったのに対し、モハニ5470形・モハユ5490形はd1D6D7D1と若干異なる。改造後の同4両はいずれも原番号をそのまま踏襲し、車種記号のみが変更されてモハ5470形モハ5490形と改称された。

32系の3000系への更新が完了した1971年(昭和46年)以降、54系に属する本系列各形式についても、32系更新と同様の方式をもって3050系への更新が開始され、1972年(昭和47年)に全車更新を完了し、本系列に属する旅客用車両は全廃となった。更新によって不要となった旧車体については大半が解体処分されたが、そのうちモハ3210形2両分の車体を流用して救援車クエ7000形が製造された。

なお、荷電化改造された車両のうち、モニ1470形1473(旧デハ105形106・後期普通車型)のみは荷物輸送廃止後も西新井工場の構内入換車として残存し、後年車籍を抹消されたものの同工場が閉鎖となった2004年(平成16年)3月31日まで運用された[8]。同車の用途廃止・解体処分をもって本系列は名実ともに全廃となり、現存する車両は存在しない。


注釈

  1. ^ a b 本系列の製造年代を考慮すると、落成当初はES500番台(東洋電機製造の独自開発モデルに付される型番)ではなくES150番台(イングリッシュ・エレクトリック社のライセンス製品に付される型番)の制御器が搭載されていたと推定されるが、落成当初の搭載機器が不明であるため、本項では晩年搭載した制御器の型番を記載する。
  2. ^ a b 1927年(昭和2年)から翌1928年(昭和3年)にかけて落成した汽車製造製の車両のみ、車体側面裾部の切り込みがないという特徴を有する。
  3. ^ 一部の車両については副運転室が設置されていない片運転台仕様で落成したとする資料も存在し、特にデハ35・36については副運転室付近にロングシートの撤去跡が存在したと指摘されている。
  4. ^ デハ21 - 36についても落成当初は正運転室側妻面も貫通構造であり、後述合造車化改造に際して同時に非貫通化改造が実施されたとする資料も存在する。
  5. ^ a b c d e 前期合造車型クハユ3ならびに後期合造車型デハ90は、いずれも汽車製造において焼損車体をそのまま修繕する形で復旧工事が施工されたが、出場時に両者の車番の振り替えが実施された。これはデハ90が荷物室を存置したまま復旧工事が実施されたのに対し、クハユ3は復旧工事に際して荷物室を撤去されたことによるものであるが、同改番は汽車側の手違い、すなわち荷物室を存置したデハ90と荷物室を撤去したクハユ3を取り違えたことによって生じた錯誤が原因であると指摘する資料も存在する(『鉄道ピクトリアル 第115(1961年2月)号』 pp.50・52)。なお、「デハ90」として竣功したクハユ3、「クハユ3」として竣功したデハ90とも、現車はいずれも動力を持たない制御車であり、後年の大改番まで車番の修正が実施されることなく運用された。
  6. ^ 事故被災等による復旧名義であると推測されるが、詳細は不明である。
  7. ^ 残る1両はクハ430形434であった。
  8. ^ モハ3210形を例に取ると、1961年(昭和36年)3月当時に東上線へ配属されていた19両(モハ3210 - 3228)については、全車とも副運転室・トイレならびに副運転室側パンタグラフ撤去が施工されており、モハ3210 - 3217については前面貫通構造化も施工済であった。一方で同時期の本線所属車両については、前述接客設備改善工事を施工された6両(モハ3230 - 3233・3235・3236)を除くと、モハ3239・3247の2両に対して副運転室・トイレの撤去が施工されていたのみであり、前面貫通構造化を施工した車両は存在しなかった。
  9. ^ モニ1170を名義上の種車として製造された3000系サハ3682(後サハ3212)は心皿荷重制限の都合上種車の装着したブリル27-MCB-2を流用せず、予備品の省形釣り合い梁式台車TR11を装着した。

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