弥勒寺跡 (関市) 弥勒寺跡 (関市)の概要

弥勒寺跡 (関市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/19 22:27 UTC 版)

弥勒寺跡史跡公園入口
弥勒寺跡
位置

概要

美濃地方豪族身毛津(むげつ)氏の氏寺と推定される古代寺院跡である。1953年(昭和28年)以降、石田茂作らによる発掘調査が行われ、金堂を西、を東に配する法起寺伽藍配置の寺院であったことが確認された。金堂、塔のほか講堂、南門、掘立柱塀、掘立柱建物竪穴建物跡などが検出されている。出土瓦の年代から7世紀後半の創建と推定される。

弥勒寺はその後廃寺となっていたが、近世に「円空仏」の作者として知られる円空が再興した。元禄2年(1689年)に園城寺(三井寺)の末寺となったことが記録にみえる。円空は元禄8年(1695年)にこの地で没した。

史跡指定

この一帯には当遺跡のほか、弥勒寺官衙遺跡(弥勒寺東遺跡)・弥勒寺西遺跡池尻大塚古墳のほか、美濃市大矢田に丸山古窯跡があり、弥勒寺官衙遺跡群(弥勒寺遺跡群)として発掘調査が継続されている[2]

1959年(昭和34年)に当遺跡と丸山古窯跡が「弥勒寺跡 附:丸山古窯跡」として国の史跡に指定された。1980年(昭和55年)には、保存管理計画が策定され、弥勒寺跡史跡公園として整備された。

2007年(平成19年)には、弥勒寺官衙遺跡(弥勒寺東遺跡)を追加指定して、指定名称を「弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡」と改めた[2]

さらに2016年(平成28年)には、池尻大塚古墳が構成史跡に追加指定され「弥勒寺官衙遺跡群 弥勒寺官衙遺跡 弥勒寺跡 丸山古窯跡 池尻大塚古墳」と改称された[2][注釈 1]

遺構

金堂跡
  • 基壇:一辺38尺(11.5メートル)の正方形。高さ3尺(0.9メートル)程の石積。
  • 構造:塔心礎と3×3間で一辺21尺(6.36メートル)・7尺(2.12メートル)等間の側柱。内4個の礎石が残存する。
金堂
  • 基壇:49.1尺(14.88メートル)×41尺(12.42メートル)程の石積。その上の8個の礎石が残存する。
  • 構造:四面廂を入れて桁行5間 36尺(10.9メートル)・7.3尺(2.21メートル)等間×梁行4間 27尺(8.18メートル)・6.9尺(2.09メートル)等間。
講堂(1998年調査)
  • 基壇:24×14メートル
  • 構造:四面廂付。廂(ひさし)は約8尺(2.4メートル)程、身舎桁行5間(15メートル)×梁行2間(6メートル)の約10尺(3メートル)等間。

注釈

  1. ^ 弥勒寺西遺跡関市円空館所在地)は史跡未指定である[2]

出典



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