山梨県道21号河口湖精進線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 17:20 UTC 版)
その他
- 1960年代後半から1970年代にかけ、夜間に行われる学生ラリー競技の走路に組み込まれ利用されることがあったが、当時は県道といえども西湖の西半分は砂利道となっており事故も発生した。1970年11月8日未明には順天堂大学学生のラリーカーが砂利に後輪を取られて湖に転落、次いで後ろを走っていた明治学院大学学生のラリーカーもつられるように転落して2人が水死した。先に落ちて助かった順天堂大学の学生は主催者(二大学で別々で行われていた)のコース設定に疑問を呈しつつも「私たちだけが通る道ではないので、早くカーブの標識やガードレールぐらいをつけてほしい」とのコメントを残している[3]。
脚注
関連項目
- ^ “山梨全域道路愛称名対象路線及び愛称名 (PDF)”. 山梨県県土整備部道路管理課. 2013年4月9日閲覧。
- ^ s:道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 - 平成五年五月十一日建設省告示第千二百七十号、建設省
- ^ 深夜のラリー、死の疾走 二台。相次ぎ湖へ 二人遺体で三人は脱出『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月9日 12版 22面
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