安部奈知 安部奈知の概要

安部奈知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 14:41 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

経歴

日本大学第三高等学校では野球部に所属し甲子園を目指していた。日本大学に進学しアメリカンフットボールを大学から始めた。自らはタイトエンドにあこがれていたが内田正人コーチ(元日大フェニックス監督)にセンターとして育てられ2年次にレギュラーの座をつかんだ。大学時代1989年から1990年とライスボウルで2年連続優勝し[1][2]卒業後、リクルートシーガルズに入団し1年目まではセンターを務めた。

優れた身体能力を生かすため翌年から念願のタイトエンドにコンバートされて[3][2]、1996年、1998年にライスボウルで優勝、1999年の第1回アメリカンフットボール・ワールドカップ日本代表として決勝のメキシコ戦ではオーバータイムに決勝TDをキャッチした[4]NFL入りを目指し1997年、1998年、2000年とNFLヨーロッパのトライアウトに合格し[5][6]NFLヨーロッパでプレーしたり、1998年にはNFLカンザスシティ・チーフス、2000年にはアトランタ・ファルコンズのキャンプに参加、2000年東京ドームで行われたアメリカンボウルにはチームの一員として来日した[7]がNFL入りはならなかった。

2001年にボブスレー日本代表に選出されボブスレー・ワールドカップや2002年ソルトレークシティオリンピックに出場した[8][6]


現在はNFL on 日テレG+NFL倶楽部などでNFLの解説、2011年10月からはWOWOWにてランジェリー・フットボール・リーグの解説を行っている。

脚注

[脚注の使い方]

関連項目

  • 松本義幸 - 日本大学フェニックスで彼と同期だったQB。オービックシーガルズでも共にプレーした。

外部リンク


  1. ^ 梶山龍誠 (2009年). “甲子園ボウルの想い出”. 甲子園ボウル. 2010年8月21日閲覧。
  2. ^ a b MIPスポーツ・プロジェクト”. MIP. 2010年8月21日閲覧。
  3. ^ 「オービックシーガルズ歴代ベストイレブン」ファン投票 結果発表”. オービックシーガルズ (2008年11月7日). 2010年8月21日閲覧。
  4. ^ 第1回イタリアW杯パレルモ大会”. 第3回アメリカンフットボール・ワールドカップHP. 2010年8月21日閲覧。
  5. ^ NFLヨーロッパトライアウト”. NFL JAPAN (2003年). 2010年8月21日閲覧。
  6. ^ a b 出演ゲストデータ ジャンクSPORTS”. フジテレビ date=. 2010年8月21日閲覧。
  7. ^ NFL TOKYO 2000観戦記
  8. ^ ソルトレイクシティオリンピック情報 日本選手団プロフィール”. 日本オリンピック委員会. 2010年8月21日閲覧。


「安部奈知」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「安部奈知」の関連用語

安部奈知のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



安部奈知のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの安部奈知 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS