安西徳兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 17:24 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動生涯
1839年7月24日、安西彦惣の三男として、陸奥国二本松(現福島県二本松市)に生まれる[1]。明治2年(1869年)3月に分家[1]。明治3年(1870年)から横浜で生糸貿易業を行い成功[1]。また、郷里福島の生糸生産改良をもくろみ、小野組と協力して二本松製紙工場を設立[1]。後、小野組の整糸会社に入社[1]。1885年に会社が解散すると、東京の弁天通りに生糸売込商店を開き、国内有数の生糸商となり[1]、生糸輸出に貢献[2]。1897年、横浜火災海上運送信用保険を創立し、監査役となる[1]。羽二重組合役員、横浜市会議員、横浜商業会議所議員なども務めた[2]。また、公共事業にも様々な貢献をした[1]。後、横浜の別邸に隠居[1]。1913年9月2日、病気により東京府下北品川長者町の別邸で死亡[1]。同月5日、品川正徳寺に埋葬[1]。戒名は「徳本院釋慧成士」[1]。
外部リンク
- 1 安西徳兵衛とは
- 2 安西徳兵衛の概要
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