太行山脈 太行八陘

太行山脈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 14:35 UTC 版)

太行八陘

太行山脈には河北平原から山西に通ずる8つの峠道があり、中国では太行八陘(たいこうはっけい)と呼ばれている。「陘」とは谷や峠道を指す。

  • 軹関陘(しかんけい) - 最も南にある峠道が軹関陘で王屋山(おうおくさん)に通じている。紀元前約2,500年前、黄帝が王屋山に登頂したと伝えられている。
  • 太行陘 - 軹関陘から東には太行陘があり、春秋時代孔子は弟子を引き連れてを訪れた。標高の比較的高いところにいくつかの村があるが、当時の晋の国の外れにある攔車村や天性関村がある。
  • 白陘(はくけい) - 太行陘のさらにその東には白陘があり、8つの峠道の中で最も厳しい。切り立つ崖に道があり、その先には上党と呼ばれる肥沃な土地の盆地がありトウモロコシの段々畑が広がっている。上党を収めていた当時のは、長平の戦いによってに滅ぼされるが、骸骨廟には趙括とその妻が祭られている。高平市では敵の秦の白起将軍の白と豆腐の白を掛け合わせて、豆腐を切って焼いて食べる「高平焼き豆腐」を生産している。
  • 滏口陘(ふこうけい) - 上記3つの道がほぼ南北であるのに対し、この滏口陘は邯鄲市から西へと続く東西の道である。
  • 井陘(せいけい) - 滏口陘より北のほぼ太行山脈の中央にある峠道。太行山脈を横断しており、鉄道も走っている。この道を作ったのは始皇帝である。「背水の陣」で有名な井陘の戦いの舞台になった。
  • 蒲陰陘(ほいんけい) - 井陘より北にある。太行山脈は中国屈指の石炭が取れる場所で、この道ではトラックが多くみられる。
  • 飛狐陘(ひこけい) - 蒲陰陘と軍都陘の間にある峠道で、最も北にある軍都陘が万里の長城により攻め入ることが難しいと悟ったチンギス・カンは、同じく万里の長城があるも軍都陘よりも低い飛狐陘の関所を突破した。軍都陘の万里の長城にいた敵軍を南と北から挟み撃ちした。
  • 軍都陘(ぐんとけい) - 北京の北西にある一番北にある峠道。居庸関は太行八陘のなかで最も有名である。万里の長城がある。

また、太行山脈には太行八陘以外にも名も知られない峠道がいくつもある。その1つの山西省大河村の大河関は曹操が通った道である。

座標: 北緯38度 東経113度 / 北緯38度 東経113度 / 38; 113




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