函石浜遺物包含地とは? わかりやすく解説

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函石浜遺物包含地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 14:44 UTC 版)

函石浜遺物包含地(はこいしはまいぶつほうがんち)、通称「函石浜遺跡」は、京都府京丹後市久美浜町湊宮の箱石海岸の砂丘上に広がる国の史跡[1]。 史跡名称は函石浜遺物包蔵地[2]、史跡指定地に建つ標柱には函石濱遺物包含地と記されている[3]


註釈

  1. ^ 稲葉宅蔵英與(嘉永2年5月14日生 – 大正7年4月9日没)は、一帯の田園地を所有していた稲葉家の12代目稲葉市郎右衛門の弟。稲葉東園と記載する資料もある。京都慶応技義塾に学び、豊岡県で戸長を務めた明治初期から継続的に函石浜遺跡で遺物採集を行った。(稲葉家資料調査報告書第三分冊1,431p)
  2. ^ 東京人類学会は、当時の日本で唯一の考古学・人類学の学会であり、明治31年4月28日発行の『東京人類学会雑誌』第145号において、宅蔵の兄・稲葉家12代目市郎右衛門と、織田幾二郎が新入会員として掲載されている。(稲葉家資料調査報告書第三分冊1,439p)

出典

  1. ^ 函石浜遺物包含地”. 国指定文化財データベース. 2020年8月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 岩田貢、山脇正資『地図でみる京都』海青社、2019年、8頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『函石浜遺跡とその発見者たち』京丹後市丹後古代の里資料館、2006年、31頁。
  4. ^ a b c d e 上田正昭、吉田光邦『京都大事典府域編』淡交社、1994年、425頁。
  5. ^ 『ひ・み・つの丹後本』丹後本製作委員会、2018年、15頁。
  6. ^ a b 『丹後王国の風景』京都府立丹後郷土資料館、1996年、6頁。
  7. ^ a b c d e f 『丹後新風土記』丹後広域観光キャンペーン協議会、2008年、207頁。
  8. ^ 『丹後発掘』京都府立丹後郷土資料館、2014年、13頁。
  9. ^ a b c d e デジタルミュージアムK13史跡函石浜遺物包含地”. 京丹後市. 2020年8月18日閲覧。
  10. ^ a b c d 澤潔『探訪丹後半島の旅(中)』文理閣、1983年、13頁。
  11. ^ 吉田金彦『京都滋賀 古代地名を歩くⅡ』京都新聞社、1991年、145頁。
  12. ^ 『函石浜遺跡とその発見者たち』京丹後市丹後古代の里資料館、2006年、50-53頁。
  13. ^ 塩田敏夫 (2015年7月5日). “「白砂青松の浜 取り戻す」”. 毎日新聞: p. 24 
  14. ^ a b “萬福だより161号「浜詰村・今昔物語」”. 萬久山福寿院: p. 2. (2009年6月2日) 
  15. ^ 江原護『古代への旅 丹後』アジェンダ・プロジェクト、2004年、53頁。


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