内藤広前 内藤広前の概要

内藤広前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 18:21 UTC 版)

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温和で記憶力に優れ歴史学、特に家系図について詳しかった。和学講談所出役を務めた後、尾張藩紀伊新宮藩に仕えた。尾張藩主徳川斉朝は自己の蔵書にあった裏松固禅の『大内裏図考証』の補訂を広前に命じ、天保12年(1840年)にこれを完成させるとともに、固禅が生前に確定出来なかった部分を含めた大内裏図9葉を完成させた。続いて新宮藩主水野忠央の命によって『丹鶴叢書』の編纂に参加、『八代集作者伝』や『国史拾遺』(20巻)などの著作も著した。後に新宮藩で復刻が進められていた『尊卑分脈』の校訂に取り組んでいたが、志半ばで病死、跡を継いだ息子が内藤家を破産させ、広前の蔵書が全て失われたことは特に惜しまれたという。

参考文献

  • 西井芳子「内藤広前」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7



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