人生幸朗・生恵幸子 エピソード

人生幸朗・生恵幸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/29 05:52 UTC 版)

エピソード

  • 芸人仲間の松鶴家光晴・浮世亭夢若の夢若が事業の失敗で不慮の死を遂げた際、「芸人は芸に精進しなあきまへん、事業なんかに手出したらロクなことありまへん」と幸朗はぼやいた。ただし新聞紙上で夢若の死は自殺だったと報道されたことに対して「彼は自殺やおまへん」と擁護し続けた。
  • 幸子の「泥亀!」の罵声は、持ち時間終了1分前を幸朗に知らせる手段であったと言われる。番組収録の際、ADが客席の最前列で「終了何秒前」などと持ち時間を示すペーパーを出すが、弱視のため、この表示が舞台上から読めない幸朗のために、幸子が客に気付かれぬよう時を知らせるフレーズとして用いたとされる。幸子は時折ストレートに「いつまでしゃべってンの。もう時間やし!」と言う場合もあった。また、「泥亀!」と叫んだ幸子に対し、幸朗が「泥亀て何や!」と苦笑すると、幸子「泥亀やないの。天王寺(四天王寺のこと)境内に行ってみ、亀の池にようけいまっせ」とやりこめる時もあった。
  • 流行歌をネタにすることで、歌手や歌のファンから非難される場合もあったが、漫才に採り上げられるほど有名になったと喜んだ者も少なくなかった。堀内孝雄は『君のひとみは10000ボルト』がネタにされた際に「俺達もこれでメジャーになった」と非常に嬉しがったという(関西テレビさんまのまんま』でのトークによる[信頼性要検証]
    上田正樹は代表作の「俺の借金全部でなんぼや」を幸朗のぼやきのネタにされたことに怒るどころか「人生幸朗師匠にボヤかれたことは誇りやと思います」と述べた。
    その一方、山口百恵をネタにした際には、心無いファンから剃刀入りの封筒が送りつけられた。幸朗は「山口百恵の歌ボヤくのやめよか?」とおびえたが、幸子は「こんな手紙ぐらい何じゃい」と意に介さなかった[2]
  • 阿久悠は、ピンク・レディーの『透明人間』を作詞した際、「透明人間現る」という歌詞を幸朗に「姿の見えん透明人間が現れるわけないやないか!」と突っ込まれることを見越して、サビの部分に“ツッコミ”的な歌詞(「現れないのが透明人間です」)を取り入れたと語っている(そのせいか、『透明人間』をネタにされることはなかったらしい)。
  • 大器晩成型だっただけに、芸に関しては人一倍厳しかった。年長もあって、なんば花月ではトリを任されることが多かったが、ある日モタレ(トリのひとつ前)に出た人気絶頂の横山やすし・西川きよしが1時間近く客を沸かせた際には、尋常ならざる形相でトリに上がり、これも1時間ぼやきまくって客を爆笑の渦に巻き込んだ。幸子も体調の悪さを押して、腕が震えるのを堪えて最後まで付き合った。
    幸朗はやすきよには特に期待をかけていた。ある日、舞台終わりにきよし法善寺横丁の洋食屋に誘い、そこで「君らの漫才は所狭しと動き回るさかい、次の出番のワシらホコリ舞ってよう出来へんわ。もっとしっかりしゃべくり勉強しいや」とボソッと言った。
  • ものまね芸で知られる大平サブロー(太平サブロー)は、幸朗をレパートリーにしている。『上方お笑い大賞』授賞式典で幸朗に扮し、人生幸朗10回忌追悼『復活! 人生幸朗・生恵幸子ボヤキ漫才』を披露した際は、相方の幸子が「お父ちゃんが帰ってきたみたいや」と感激し落涙するほどの出来栄えで、以降サブローと幸子は親交を持つようになった。
    その後吉本興業から発売された声の出るキーホルダーや、生前の映像を使用した和歌山マリーナシティテレビCM1994年)では、幸朗の声をサブローが吹き替えている。また一度だけ、サブロー演じる幸朗と幸子のテレビCMが製作された。
  • ぼやきを看板にしているわけではないが、大木こだま・ひびきが、幸朗・幸子と似たようなパターンのネタを展開することがある。
    (ひびき)「いやぁ忙しくて猫の手も借りたいですわ」(こだま)「猫に手はあらへん、アレは前足や!」
    (ひびき)「恥ずかしくて顔から火が出ました」(こだま)「顔から火なんてどないして出すねん! 見たことないわ、見せてみい!!」
    など。
  • ダウンタウン松本人志は『ダウンタウンのごっつええ感じ』の「ご存知!ハマダ芸能社物語」で幸朗をモデルにしたキャラ「松本人生」を演じた。相方の幸子をモデルにしたキャラはYOUが演じた。

  1. ^ a b c d e f g h i 人生 幸朗』 - コトバンク - 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)および日外アソシエーツ編『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(日外アソシエーツ、2010年)より引用。なお、読みについては「じんせい こうろう」としている。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 竹本浩三『オモロイやつら』 文春新書、2002年 pp.105-121「人生幸朗」。同資料では、芳丸に入門した年齢を「30歳」としている。
  3. ^ 「花王名人劇場・吉本漫才オールスター東京へ殴り込み」
  4. ^ 後の守住田鶴子二代目秋田Bスケの叔母
  5. ^ 相羽秋夫『惜別 お笑い人』 東方出版、2001年
  6. ^ a b c d 生恵 幸子』 - コトバンク日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)および日外アソシエーツ編『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(日外アソシエーツ、2010年)より引用
  7. ^ ミヤコ蝶々の相方でもあった
  8. ^ a b c d e 木津川計『上方の笑い』講談社現代新書、1984年 pp.39-41
  9. ^ a b 相羽秋夫『上方漫才入門』(弘文出版)p.108
  10. ^ a b c d e 井上宏『笑いの人間関係』講談社現代新書、1984年 pp.170-172


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