両国予備校 両国予備校の概要

両国予備校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 02:11 UTC 版)

かつての校舎跡

沿革

経営者は、のちに高畠金蔵個人から東京都墨田区の「総合学院」になったが、この件に関し、完全な経営権委譲なのか、校長所有の会社あるいは学校法人等への委譲なのかは不明のまま閉校を迎えた(現在でも明らかにされてはいない)。なお、高畠金蔵が会長をしていた「全国医科歯科大学進学指導協会」と、その関連会社とされる「医歯薬受験研究社」等は「総合学院」の主要な系列団体及び会社であった。寮母の不当解雇に関する裁判の時は、経営は株式会社RFN(被告、旧・株式会社両国スクール)とされた。

一時は大手予備校の一つとみなされた時期もあったが、少子化による浪人生の減少で生徒募集が困難となってきたことや、特に本拠地である東京校に関しては、東京に河合塾の医歯学部進学専門の校舎が建設されるなど競合する医歯薬専門予備校が増加してきたこと等により、経営が厳しくなっていた。このため、「使命が終わった」との判断により(経営陣の談話による)、2005年2月8日に閉校した[1]

スパルタ教育

医歯薬系を主力として、全寮制をとって峻厳な規則を課す、いわゆるスパルタ教育が特徴であった。なお、全寮制を謳ってはいたが、特に末期には、実際は通学生でも入学が可能であった。

入学説明会の際には、入学生は5〜6時間ほどかけて校長の話を聞き、入学生の学習の意志を確認するために、「将来立派な医療人、立派な社会人になることを決意し、あらゆる艱難辛苦に耐えて受験勉強に励む者以外は、両国予備校に入学してはならないが、誓うか」と問い、入学生に誓いを立てさせた。この校長から生徒らへの問いかけは、一人一人に向けられ、基本的に全員が「はい!」と答えていた。学生は「自宅学習報告書」を毎日記入し、学習時間が足りないとみなされた際には「反省書」を書くことが義務付けられていた。ピーク時には複数の寮が乱立するくらい盛況であった。毎朝テストが行われていた。

校則

  • 「将来立派な医療人、立派な社会人になることを決意し、あらゆる艱難辛苦に耐えて受験勉強に励む者以外は、両国予備校に入学してはならない」というフレーズがあった。
  • 「恋愛禁止」であった。
  • 「両国予備校の真の価値」。予備校生は「生活信条」とともにこのフレーズを入学時に覚えさせられ、はじめての毎朝テスト時に暗記テストがあった。
  • 「生活信条」。両国予備校での予備校生活を行う上での生活信条をまとめたものであり、入学時に暗記があった。

  1. ^ “両国予備校 少子化で浪人生激減、8日に閉鎖” 毎日新聞 2005年2月10日
  2. ^ 朝日新聞 大阪市内版 2004年7月21日
  3. ^ 高校卒業後、野村証券勤務を経て女優となった。受験生はもとより子供を持った経験もなく、教師役などが特に代表作となったこともない。


「両国予備校」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「両国予備校」の関連用語

両国予備校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



両国予備校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの両国予備校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS