リチャード2世 (イングランド王) 人物

リチャード2世 (イングランド王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 13:50 UTC 版)

人物

敬虔で洗練された文化的感覚を持ち合わせている一方、短気で感情の抑制が利かない性格だった。

文化では芸術家のパトロンを買って出て彼らを保護・奨励、国際ゴシックの流行に一役買い、華麗な服装の色やデザインに気を遣い、ジョン・ガワージェフリー・チョーサーらに様々な庇護を与え、チョーサーには実入りのある官職、年金などを与えて優遇した。また臣下に紋章の加増(オーグメンテイション)を許可しており、エドマンド殉教王エドワード懺悔王、曽祖父に当たるエドワード2世に対する帰依は熱心であり、懺悔王の紋章とされる飾りを自身の未紋章の左半分に追加したり、一時はエドワード2世の列聖を検討したりしている。

しかし、華麗な宮廷生活で目に余る浪費が臣下の不満を生み、1383年に親政開始してからは自己判断だけに頼りだし、寵臣を集めて専制に走る軽率さと虚栄心が目立ち始めた。アンが死去してからは感情の抑制が利かなくなり、葬儀に遅参したアランデル伯を杖で打ち据えたり、シーン離宮の破却命令など喜怒哀楽が大きく揺れ動くようになった。やがて1397年に訴追派貴族を排除してからは周囲から暴君と恐れられる行為を繰り返したため人望を失い、廃位へと至る末路に繋がった[17]

リチャード2世が登場する作品

シェイクスピアの『リチャード2世』表紙(1598年版)
戯曲
  • (日本語訳:『シェークスピア全集11 リチャード二世』、白水社Uブックス、1983年 など)
漫画
  • 蒲生総『リチャード二世 Splendour of king』(1998年角川書店から第1巻出版。ただし現在は絶版のため入手不可能)
  • 青池保子アルカサル-王城-』外伝1「公爵夫人の記」

脚注


注釈

  1. ^ ランカスター公は密かにイングランド王位への野望を抱いているという噂が流れ、周囲から疑われたこと、エドワード3世時代末期から政権を司ってきたとはいえ、黒太子の死去直前の1376年に開催された善良議会の決定を翌年の議会で強引に覆したことから警戒され、摂政候補から外されていた[3]
  2. ^ 反乱鎮圧後リチャード2世はタイラーの要求を撤回したが、そのうちの一つである農奴制は時代の流れで15世紀前半までに自然消滅へ向かっていった[5]
  3. ^ 亡命した2人のほか、ヨーク大司教アレクサンダー・ネヴィルは聖職者だったため死刑を免れたが、残りの6人が処刑された。議会の弾劾を否定した王座裁判所長官ロバート・トレジリアンとウォリック伯の同族に当たるサー・ジョン・ビーチャム、ロンドン市長ニコラス・ブレンバー、サー・サイモン・バーリーらが処刑され、トレジリアンと同じくリチャード2世を擁護した5人の裁判官も追放された[8]
  4. ^ リチャード2世はこの議会で1386年から1388年の一連の出来事に対する恩赦を宣言したが、50人は対象から外すとも言ったため、貴族たちは対象者の名前が明かされていなかったことから疑心暗鬼を生じ、600人以上が恩赦を求め王への金銭支払いに走った。続けてリチャード2世はケント、エセックス、ハートフォードシャーなど地方からも赦免と引き換えに金銭を徴収、各地から強引に金を脅し取る手法は周囲の反感を買った[11]

出典

  1. ^ リチャード2世』 - コトバンク
  2. ^ リチャード2世 - Find a Grave(英語)
  3. ^ 森 1986, pp. 156–157; 川北 1998, pp. 102–103; ロイル 2014, p. 32.
  4. ^ 森 1986, p. 160 - 161; 青山 1991, p. 378; 川北 1998, p. 106; 佐藤 2003, p. 119; キング 2006, p. 291-292; ロイル 2014, p. 31-33.
  5. ^ キング 2006, p. 300-302.
  6. ^ 森 1986, p. 161 - 163; 青山 1991, p. 378-380; 川北 1998, p. 107-109; 佐藤 2003, p. 119-120; キング 2006, p. 292-300; ロイル 2014, p. 38-45.
  7. ^ 森 1986, p. 163 - 164; 青山 1991, p. 380-383; 川北 1998, p. 110-111; 佐藤 2003, p. 120-121; キング 2006, p. 302-305; ロイル 2014, p. 49-53.
  8. ^ 青山 1991, p. 384-385; キング 2006, p. 308; ロイル 2014, p. 58.
  9. ^ 森 1986, p. 164-165; 青山 1991, p. 383; 川北 1998, p. 111-112; 佐藤 2003, p. 120-121; キング 2006, p. 305-311; ロイル 2014, p. 53-62.
  10. ^ 青山 1991, p. 386-387; 川北 1998, p. 112; 佐藤 2003, p. 118-119; キング 2006, p. 311; ロイル 2014, p. 69-73.
  11. ^ 青山 1991, p. 387-389; キング 2006, p. 313-314; ロイル 2014, p. 74-76.
  12. ^ 森 1986, p. 166; 川北 1998, p. 112; ロイル 2014, p. 75-76.
  13. ^ 森 1986, p. 166-167; 青山 1991, p. 403-404; 川北 1998, p. 112; 佐藤 2003, p. 122; キング 2006, p. 311-312; ロイル 2014, p. 76-78.
  14. ^ 森 1986, p. 167-169; 青山 1991, p. 404-406; 川北 1998, p. 112-113; 佐藤 2003, p. 122; キング 2006, p. 315-318; ロイル 2014, p. 78-84, 424.
  15. ^ 森 1986, p. 170; ロイル 2014, p. 45-47, 66-67, 423.
  16. ^ 森 1986, p. 170-172; ロイル 2014, p. 69-70, 99-100.
  17. ^ 森 1986, p. 158-160; ロイル 2014, p. 39, 49, 62-67, 77, 84-86.





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