ヤシュチラン 研究史

ヤシュチラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 03:40 UTC 版)

研究史

シルヴェイナス・G. モーリーによると、1696年に最後のマヤ人の王国タヤサルの征服に向かった軍隊がこの遺跡を発見している可能性がある。また、1831年にグアテマラの自由党政府の将校であったイギリス人冒険家フアン・ガリンドがウスマシンタ川-パシオン川流域を探検し、パレンケを踏査しており、1833年に発表された報告書にヤシュチランらしき遺跡について短い記述が残っている[3][35]

記録に残っている発見者は、グアテマラのカレジオ・ナショナル(国立大学)に講師として勤務していたエドウィン・ロックストローで、1881年にこの遺跡を訪れている。ロックストローから遺跡の情報を聞いたイギリス人探検家のアルフレッド・モーズレーが、翌1882年に記録のための巨大な湿板カメラを携えて訪れ、そのわずか2日後にタバコ商人ピエール・ロリヤール4世の支援を受けたフランス人探検家デジレ・シャルネーが遺跡に到着し、遺跡に滞在していたモーズレーと遭遇している。モーズレーは発見の功績をシャルネーに譲り[36][37]、代わりにシャルネから模型作成用の紙型の技術を学んだ[3]。1886年にモーズレーは助手を派遣し模型の型取りをさせ、グアテマラ政府の許可を得て数点のリンテルをロンドンに持ち去っており、それらは現在では大英博物館に収蔵されている[3][38]。そのうちリンテル56号が誤ってベルリンへ送られ、第二次世界大戦の爆撃で破壊されてしまった[3]。その後、シャルネーは1863年に"Cites et ruines americanes"を、1885年に"Les anciennes ville s du Nouveau monde"を発表[35]。モーズレーは、フレデリック・デュ・ケイン・ゴッドマンとオズバート・サルヴィンが監修した『中央アメリカ生物誌』の一部として、1889年から1892年にかけて5巻からなる『考古学』を発表[39]。その2巻目にキリグアイシムチェーなどの遺跡とともにヤシュチラン(Menché)での成果も収められた[40]

1895年、1897年、1900年の三度にわたって、オーストリア人探検家テオベルト・マーラーがこの遺跡に訪れ[3]、詳細な調査を行って南アクロポリスを含む多数の未発見の建造物や彫刻を発見、撮影。マーラーの成果は、1903年にハーヴァード大学ピーボディー博物館より、"Reserches in the Central Portion of the Usumasintla Valley"の一部として、素晴らしい写真とともに発表された[6][41]カーネギー研究所のシルヴェイナス・G. モーリーが1914年と1931年に調査に訪れ[3]、写真と図版を含むその成果は1937年から1938年に『ペテン地域の碑文』に収められている[6]ペンシルベニア大学のリントン・サタースウェイト・ジュニアも1934年と翌1935年に訪れ、数点のリンテルを発見している[3]

1960年にタチアーナ・プロスクリアコフによってピエドラス・ネグラスの古典期後期の支配者たちの歴史が判明し[42]、引き続いてプロスクリアコフは1963年と1964年に発表された論文でヤシュチランの古典期後期の王朝史を解明した[43]。碑文解読と王朝史の解明はリンダ・シーリーピーター・マシューズらによってその後も続けられ、現在では他都市との関係も含めて研究が進んでいる。1968年にイアン・グラハムらによってピーボディー博物館の"Corpus of Maya Hieroglyphic Inscriptions"(マヤ神聖文字碑文集成)プログラムが開始され、ヤシュチランの碑文は三冊に分けて出版された(Vol.3のPt.1-3)[3]

1973年にメキシコ国立人類学歴史学研究所(Instituto Nacional de Antroplogia e Historia、INAH)によってヤシュチランの発掘調査が始まり、1986年にメキシコの経済状況が悪化したために調査は一時中断した。1989年から3年間、日本の毎日放送並河萬里研究所の協力によって、小アクロポリスの調査が行われた[44]。1990年に日本墨修好百周年を記念した「マヤ文明展」が日本の6都市で開催され、小アクロポリスの出土品22点を含むヤシュチランの遺物を中心にマヤ文明を日本に紹介した[45]。INAHによる調査結果は、研究所長を務めたロベルト・ガルシア・モールらによって多数発表されている。


  1. ^ 『古代マヤ王歴代誌』p.184
  2. ^ 『古代マヤ王歴代誌』p.179
  3. ^ a b c d e f g h i j k l Corpus of Maya Hieroglyphic Inscriptions, Yaxchilan
  4. ^ 『古代マヤ王歴代誌』2002, p.171
  5. ^ Maler 1903, P.105
  6. ^ a b c Tate 1992, p.8
  7. ^ Martin 2004
  8. ^ Maya Hieroglyph Dictionary - Peter Mathews and Peter Biro / Pa'chan
  9. ^ 『古代マヤ王歴代誌』2002, p.173にはシャフ・チャン(Sihyaj Chan、空から生まれた)とある。
  10. ^ 『古代マヤ王歴代誌』2002, p.173
  11. ^ Sharer & Traxler 2006, p.431などでは320年に王朝が創始されたとある。
  12. ^ 『古代マヤ王歴代誌』2002, p.175-178
  13. ^ 『古代マヤ王歴代誌』2002, p.180-181
  14. ^ a b Tate 1992, p.150
  15. ^ Maler 1903, P.115
  16. ^ Maler 1903, P.118など
  17. ^ Tate 1992, p.151
  18. ^ Maler 1903, P.118
  19. ^ a b 『古代マヤ王歴代誌』2002, p.196
  20. ^ a b Tate 1992, p.152
  21. ^ Maler 1903, p.119
  22. ^ Tate 1992, p.154
  23. ^ 『古代マヤ王歴代誌』2002, p.203
  24. ^ a b c Moll 2003, p.349
  25. ^ Maler 1903, P.120
  26. ^ a b c Tate 1992, p.155
  27. ^ a b 『古代マヤ王歴代誌』2002, pp.192 - 193
  28. ^ a b 『マヤ文明展 図録』p.12
  29. ^ a b Maler 1903, P.122
  30. ^ a b Moll 2003, p.79
  31. ^ Tate 1992, p.152やMaler 1903, p.125では長さ11.46メートル、幅8.29メートルとしている。
  32. ^ a b Tate 1992, p.157
  33. ^ a b Tate 1992, p.160
  34. ^ Moll 2003, p.343
  35. ^ a b Tate 1992, p.5
  36. ^ Charnay, Désiré, 1887
  37. ^ 『マヤ文字解読』p.156-157
  38. ^ British Museum - The Yaxchilán Lintels
  39. ^ 『マヤ文字解読』 p.157-158
  40. ^ Biologia Centrali-Americana (Prospectus) : Zoology, Botany and Archæology (1918) by Frederick DuCane Godman and Osbert Salvin, p.45 Archaeology、Electronic Biologia Centrali Anericana
  41. ^ 『マヤ文字解読』p.162
  42. ^ Proskouriakoff 1960
  43. ^ Tate 1992, p.10
  44. ^ 『マヤ文明展 図録』p.13
  45. ^ 『マヤ文明展 図録』あいさつ
  46. ^ a b c d Informe final* del Proyecto M099 Caracterización biológica del Monumento Natural Yaxchilán como un elemento fundamental para el diseño de su plan rector de manejo
  47. ^ a b Région Lacan-Tún – Usumacinta - UNESCO World Heritage Centre
  48. ^ National Park Sierra del Lacandón - UNESCO World Heritage Centre






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