モーリス・ブランショ 作風と思想

モーリス・ブランショ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 01:35 UTC 版)

作風と思想

ブランショは、その文学的営為の根本において、マラルメフランツ・カフカから多大な影響を受けた。日常的な言葉(物事や情報を道具的に交換するための言葉)ではない本質的な言葉として文学的言語を考えたマラルメの視点、また本質的な言葉によって創られた純粋な作品においては語り手・書き手は消滅して「語に主導権を譲る」というマラルメの考えは、ブランショの創作においても文学思想においても決定的な重要性を持っている。同様に、カフカが日記やノートに書き記した様々な記述、例えば死や非人称的なものと書くこととの密接な関わりを記した箇所や、「私」から「彼」への移行によって文学の豊かさを経験したと記した箇所などからも、ブランショは絶大なインパクトを受けている。この二人からの影響を継承し、また友人たちや他の文学者・思想家たちと交流し感応しながら、ブランショは小説においても批評においても独自の地歩を達成していった。

小説について、『謎の男トマ』や『アミナダブ』、『至高者』などの初期の作品では、ジャン・ジロドゥーやカフカの影響が見られ、一応は小説的でありつつも既に従来のリアリズムからの逸脱・転倒が起きている。また、これらの作品での主人公の体験する彷徨や紆余曲折が、ブランショの文学批評における「書き手の彷徨」や「死を潜ること」と対応していると見る評者もいる。『死の宣告』以降はさらに伝統的リアリズムからの離脱が進み、作品の簡約化・簡潔化が進むと共に、次第に登場人物の固有名が明かされない傾向が強くなっていく(1950年に刊行された『謎の男トマ』改訂版で大幅な削除・短縮が行われたことに、このような作風の変遷が典型的に表れているとされる)。名前のわからない1人称の語り手による回想という形式の作品がいくつか続くなかで、作品の突き詰めはいっそう進み、『期待 忘却』では物語そのものが断片化・断章化され、そのなかでの名前の無い男女の対話がおこなわれるという形をとる。晩年の最後の作『私の死の瞬間』では語り手自身の問いかけを孕んだ簡潔な筆致によって一人の男の銃殺されかかる体験(ブランショ自身の実体験である)が記された。

文学思想においては、前述のマラルメやカフカをはじめ、ライナー・マリア・リルケフリードリヒ・ヘルダーリンアルベール・カミュハーマン・メルヴィルなどさまざまな作家・詩人の批評を通して、自らの思想を提示した。日常の活動的な「営み」から逸脱した「無為」として文学活動を捉え、その無為のさなかで作家は自らの死に臨み、死を前にして自らを支配し続け、顕現する非人称的なもののさなかを潜り、まさに「文学空間」を彷徨うのだ、それが書くということなのだと語るブランショは、その行為をオルペウスの冥界下りになぞらえている(このオルペウスというモチーフもマラルメを経由している)。神秘神学ユダヤ思想とも共鳴しながら提示されたブランショの文学思想は、それまでの「創作とは何か」ということについての考えに大きな変化をもたらすとともに、ロラン・バルトの『エクリチュールの零度』と並んで、現代思想におけるエクリチュールの問題の前景化に多大な役割を果たした。

また、ブランショは、文学理論家とだけ見られることも多いが、その思想の射程はずっと広範囲にわたっている。たとえば、ブランショは、死について「死においては、〈私〉が死ぬのではなく、〈私〉は死ぬ能力を失っている」と考え、バタイユらとともに死を「経験できないものの経験」「不可能な経験」として論じた最初の世代である。[要出典]また『文学空間』以降、ナチスに加担したハイデッガーの哲学への内在的批判を継続的に続けた。『友愛』などでの友愛についての論考、『明かしえぬ共同体』での共同体及び共同性についての思索も重要であるほか、現代思想における主体批判とそれ以降の思想の向かう先をそれぞれの思想家が論じた評論集『主体の後に誰が来るのか?』にも参加している。マルクス主義共産主義に対する論考でも重要な論点を示しており(ブランショは共産主義に対し、批判しつつも避けがたい重要な課題だと考える両義的な態度をとっていた)。ダニエル・ベンサイードは、『友愛』のなかでブランショがカール・マルクスについて述べた箇所を「過去の多くの注釈やテーゼよりも、はるかに多くを語っている」と讃えた。また、デリダは、『マルクスの亡霊たち』の中で、ブランショが提起した問題を論じている。晩年には、エマニュエル・レヴィナスの哲学やユダヤ思想への傾倒を強め、ミシェル・フーコーが『自己への配慮』などの著作や講義などで古代ギリシャを取り上げたことに対して、それはヘブライでもよかったのではないかと書き記した。

フーコーが青春時代を回顧して「僕はブランショになろうと熱望していた」と述懐し、また『外の思考』などの著作においてブランショに言及していることや、ジル・ドゥルーズが「ブランショこそが死の新しい概念を作り上げた」と称賛していることは注目すべきである。ジャック・デリダも、その文体からしてブランショの圧倒的影響下にあり、『滞留』や『境域』などの著作で、ブランショに言及している。また、日本の哲学者田邊元も、晩年に「マラルメ論」を執筆する際、前年に出版されていたブランショの『文学空間』を取り寄せ精読していた。また、ブランショの友人であったエマニュエル・レヴィナスは、ブランショに関する論考(『モーリス・ブランショ』として出版)を発表している。




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