フランツ・シューベルト 歴史的位置

フランツ・シューベルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 06:42 UTC 版)

歴史的位置

ロマン派の幕開け

シューベルトは一般的にロマン派の枠に入れられるが、その音楽、人生はウィーン古典派の強い影響下にあり、記譜法、基本的な作曲法も古典派に属している。貴族社会の作曲家から市民社会の作曲家へという点ではロマン派的であり、音楽史的には古典派とロマン派の橋渡し的位置にあるが、年代的にはシューベルトの一生はベートーヴェンの後半生とほぼ重なっており、音楽的にも後期のベートーヴェンより時に古典的である。

同様に、時期的にも様式的にも古典派にかかる部分が大きいにもかかわらず、初期ロマン派として挙げられることの多い作曲家としてカール・マリア・フォン・ウェーバーがいるが、シューベルトにも自国語詞へのこだわりがあった。ドイツ語オペラの確立者としての功績を評価されるウェーバーと比べると大きな成果は挙げられなかったものの、オペラ分野ではイタリア・オペラの大家サリエリの門下でありながら、未完も含めてドイツ語ジングシュピールに取り組みつづけた。当時のウィーンではドイツ語オペラの需要は低く、ただでさえ知名度の低いシューベルトは上演機会すら得られないことが多かったにもかかわらず、この姿勢は変わらなかった[5]教会音楽は特性上ラテン語詞の曲が多いものの、それでも数曲のドイツ語曲を残し、歌曲に至ってはイタリア語曲が9曲に対してドイツ語曲が576曲という比率となっている。

「ドイツの国民的、民族的な詩」に対し「もっともふさわしい曲をつけて、本当にロマン的な歌曲を歌いだしたのはシューベルトである」とし、ウェーバーらとともに、言語を介した民族主義をロマン派幕開けの一要素とする見解もある[6]

他の作曲家との関係

シューベルトは幼いころからハイドンやその弟のミヒャエルモーツァルトベートーヴェンの弦楽四重奏曲を家族で演奏し、コンヴィクトでもそれらの作曲家の交響曲をオーケストラで演奏、指揮していた。

シューベルトは当時ウィーンでもっとも偉大な音楽家だったベートーヴェンを尊敬していたが、それは畏怖の念に近いもので、ベートーヴェンの音楽自体は日記の中で「今日多くの作曲家に共通して見られる奇矯さの原因」としてむしろ敬遠していた。シューベルトは主題労作といった構築的な作曲法が苦手だったと考えられているが、そういったベートーヴェンのスタイルは本来シューベルトの作風ではなかった。

むしろシューベルトが愛した作曲家はモーツァルトである。1816年6月14日、モーツァルトの音楽を聴いた日の日記でシューベルトはモーツァルトをこれ以上ないほど賞賛している。またザルツブルクへの旅行時、聖ペーター教会のミヒャエル・ハイドンの記念碑を訪れ、感動とともに涙を流したという日記も残されている。

コンヴィクトからの友人ヨーゼフ・フォン・シュパウンが書き残した回想文は、シューベルトが11歳のとき、「ベートーヴェンのあとで、何ができるだろう」と言ったと伝えている。さらにオーケストラでハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの交響曲を演奏したときにはハイドンの交響曲のアダージョ楽章に深く心が動かされ、モーツァルトのト短調の交響曲(おそらく『第40番 K. 550』)については、なぜか全身が震えると言い、さらにメヌエットのトリオでは天使が歌っているようだと言った。ベートーヴェンについてはニ長調(第2番)変ロ長調(第4番)イ長調(第7番)に対して夢中になっていたが、のちにはハ短調(第5番)の方が一層優れていると言ったと伝えている。

ウェーバーとも生前に親交があった。1822年のウィーンでの『魔弾の射手』上演の際に知り合い、シューベルトのオペラ『アルフォンソとエステレッラ』をドレスデンで上演する協力を約束したが、のちの『オイリアンテ』についてシューベルトが、「『魔弾の射手』の方がメロディがずっと好きだ」と言ったために、その約束は果たされなかった。

シューベルトはのちの作曲家に大きな影響を与えた。『ザ・グレート』を発見したシューマンは言うに及ばず、特に歌曲、交響曲においてフェリックス・メンデルスゾーンヨハネス・ブラームスアントン・ブルックナーヨーゼフ・シュトラウスフーゴ・ヴォルフリヒャルト・シュトラウスアントニン・ドヴォルザークなど、シューベルトの音楽を愛し、影響を受けた作曲家は多い。

シューベルティアーデ

ユリウス・シュミットドイツ語版による絵画『シューベルティアーデドイツ語版

シューベルトが私的に行った夜会は、彼の名前にちなんで「シューベルティアーデドイツ語版」と呼ばれた。現在もキャッチフレーズとして使われることがある。彼は協奏曲を作曲することはほとんどなく、その慎ましいイメージも「シューベルティアーデ」の性格を助長させた。

生前に出版された最後の作品が、1828年に出版された四手ピアノのための『ロンド イ長調』(作品107, D 951)だったことからうかがえるように、生前に出版された作品だけでも作品番号は100を超えている。同じ時代に、これと同数の作品を作曲できたライバルカール・チェルニーのみである(31歳前後のチェルニーにはオペラ交響曲などの大規模出版作品は見当たらない)。それらに大規模作品は含まれず、極端な場合は委嘱作すら生前の出版はなく(『アルペジオーネソナタ』など)、没後も長期間にわたり出版が継続されている。最後の作品番号は1867年に出版された「作品173」であり、すでにシューベルト死去から30年以上が経過していた。

31歳でこの膨大な量は無名の作曲家では不可能であり、作曲家としてすでに成功と考えてよいという理由から、シューベルトが本当に貧しかったのか疑問視する声もある[7]。また、シューベルトを描いた肖像画は何点も作成されており、それらは対象を美化している。名士であれば肖像画を実物より美しく描くことが当時の画家の責務だったため、こうした待遇は、シューベルトが名士であった証拠と考えることができる。シューベルトはグラーツ楽友協会から名誉ディプロマを授与された(未完成交響曲)ときには25歳に過ぎず、この時点で彼は無名ではなかったと考えられる。

また、シューベルトの死に際して、新聞は訃報を出している。


注釈

  1. ^ シューベルトドイツ語発音: [ʃúːbərt])」は舞台ドイツ語の発音を基にした読み方・表記だが、現代ドイツ語の発音では「シューバトドイツ語発音: ['ʃuːbɐt])」がより近い[1]
  2. ^ シューベルトの友人であるアンゼルム・ヒュッテンブレンナーのもとで自筆譜を保管中、ヒュッテンブレンナーが留守中に同居人が全3幕中、2・3幕の楽譜を焚き付けにしたため失われた。
  3. ^ de:Deutsch-Verzeichnis, en:Schubert Thematic Catalogue, it:Catalogo_Deutschの本文における表記を参照のこと。

出典

  1. ^ Duden Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverlag. (2005). p. 712. ISBN 978-3-411-04066-7 
  2. ^ 前田昭雄『シューベルト(カラー版作曲家の生涯)』 (新潮文庫、1993年) ISBN 4101272115
  3. ^ 山本藤枝『カラー版・子どもの伝記 シューベルト』(ポプラ社、1973年)
  4. ^ (3917) Franz Schubert = 1961 CX = 1976 GT2 = 1977 RU1 = 1981 TY3 = 1987 HU1”. MPC. 2021年9月23日閲覧。
  5. ^ 井形ちずる『シューベルトのオペラ』(水曜社、2004年)
  6. ^ 門馬直美『西洋音楽史概説』(春秋社、1976年)
  7. ^ 音楽之友社 新訂標準音楽辞典 第二版のシューベルトの項
  8. ^ Lieder, Volume 1”. www.baerenreiter.com. 2019年12月2日閲覧。
  9. ^ The accent question in Schubert: An old theme with new variations”. www.henle.de. 2019年12月2日閲覧。
  10. ^ Figure 20 Schubert D 935/3 bar 28, Cortot's tempo flexibility (1920 recording)”. openaccess.city.ac.uk. 2019年12月4日閲覧。
  11. ^ Schubert's Maniscripts”. www.google.co.jp/. 2019年12月4日閲覧。
  12. ^ ベートーヴェンの『ヴァルトシュタイン』あるいは『ピアノ協奏曲第1番』。
  13. ^ Howard Ferguson has drawn attention to the double-octave triplets in the final phrase of D784・・・”. orca.cf.ac.uk. 2019年12月3日閲覧。
  14. ^ The one passage omitted in all of Schubert's masses is "Et unam sanctam catholicam et apostolicam Ec- clesiam"”. currentmusicology.columbia.edu. 2019年12月3日閲覧。
  15. ^ 『最新名曲解説全集 第22巻 声楽曲2』のシューベルトの項
  16. ^ Guten Morgen Österreich
  17. ^ 金子建志『交響曲の名曲 1 こだわり派のための名曲徹底分析』(音楽之友社、1997年)、25ページ。
  18. ^ 金子建志『交響曲の名曲 1 こだわり派のための名曲徹底分析』(音楽之友社、1997年)、133ページ。
  19. ^ Schubert's Symphonies - A New Symphony & A Review - Dave Lampson
  20. ^ full score SCHUBERT d.849 E major symphony GOLDONI ISBN 3 922044 05 0 GOLDONI , November 1982 . hardback in linenboards , 23x28cm; full score in facsimile of the purported d.849 GASTEIN symphony; Includes full critical analysis (in german) by Gunter Elsholz & Reimut Vogel 39 + 277pages
  21. ^ Schubert: Symphony in E major, "1825"”. www.prestoclassical.co.uk. 2019年12月2日閲覧。
  22. ^ Wie fälsche ich richtig?”. www.augsburger-allgemeine.de. augsburger-allgemeine (2011年6月3日). 2020年5月20日閲覧。
  23. ^ 歴史を彩った名曲たち #36メッテルニヒ体制♪ミサ・ソレムニスアクロス福岡
  24. ^ "Jeffrey Dane – The Composers' Pianos". www.collectionscanada.gc.ca. Retrieved 5 February2021.






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