ニカラグア事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 02:33 UTC 版)
アメリカの出廷拒否と欠席裁判
1985年1月18日、アメリカは1984年11月26日の先決的判決を不服とし以下のような声明を発した[48]。
アメリカ合衆国は、裁判所の判決が法や事実に照らし疑いの余地もなく明白に誤りであると結論せざるをえない。陳述書や口頭陳述ですでに述べたように、裁判所に本件を審理する管轄権はなく、また1984年4月9日のニカラグアの請求は受理不能であるとの見解をアメリカ合衆国は堅持する。したがってアメリカ合衆国は今後本件に関するいかなる手続きにも参加する意思はなく、ニカラグアの訴えに関する裁判所のいかなる決定に対してもアメリカ合衆国は同国の権利を留保する。
アメリカはこの声明以降本件の審理には参加しなかった[49]。ICJ規程第53条により、ICJは管轄権の存在と原告国の請求の根拠とを確認すれば、当事者の一方が出廷しない場合であっても裁判を行うことができる[50]。ICJが設立されて以降当事国が出廷を拒否したまま裁判が行われたのは、1974年のアイスランド漁業管轄権事件判決におけるアイスランド、同年の核実験事件判決におけるフランス、1980年の在イランアメリカ大使館員人質事件判決におけるイランに続き、本件で4例目であった[51]。しかし本件におけるアメリカの態度は、先決的判決の審理に参加しておきながら自国に不利な判決が下された段階で審理不参加を決定したという点で、前述の3カ国の態度とは性質が異なる[52]。その後アメリカは自国の強制管轄受諾宣言を終了させる旨を通告し、この宣言終了は1986年4月7日に発効した[14]。さらにアメリカはニカラグアが本件を審理する管轄権がICJにあることの根拠として援用した1956年友好通商航海条約を破棄し、この破棄は1986年5月1日に発効した[14]。しかしこれらのアメリカの行動は、すでに成立している管轄権に影響を及ぼすものではないとし、ICJは審理を継続した[14]。
注釈
- ^ 裁判は英語とフランス語で行われ[1]、国際司法裁判所は本件のことを英語で"Case concerning Military and Paramilitary Activities in and against Nicaragua"、フランス語で"Affaire des activités militaires et paramilitaires au Nicaragua et contre celui-ci"と表記している[2]。この国際司法裁判所による表記に対しより忠実に「ニカラグアに対する軍事的活動事件」[3]、「対ニカラグァ軍事・準軍事活動事件」[4]、「ニカラグアにおける軍事・準軍事行動の事件」[5]などと表記されることもあるが、これらのように英仏語をより忠実に訳した場合の日本語表記は専門家によるものであっても一様ではない。三次資料である筒井若水編、『国際法辞典』、265頁での「ニカラグア事件」との表記が専門家が著わした二次資料でも相当数見られることから[6][7][8][9]、これらに倣い本項目では基本的に「ニカラグア事件」との表記を採用する。
- ^ 1984年8月15日、エルサルバドルがICJに対して、ICJ規程第63条にもとづく訴訟参加請求を行ったが[39]、エルサルバドルの参加請求は却下されている[15]。
- ^ ICJの適用法規としてICJ規程第38条第1項(b)に定められる「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」、つまり慣習国際法が成立するためには、学説上は大多数の国家による行為の反復(「一般慣行」)と、その慣行が「法として認められた」こと、つまりその慣行が法的義務や権利に基づいた行動との認識でなされていること(法的信念)という2つの要件が必要とされている[66]。ICJも本件でこの慣習国際法成立のための2要件の必要性を確認したが[64]、本件での集団的自衛権の要件に関するICJの判断に対して批判的な学説は、必要性と均衡性という2要件が19世紀以来の慣行により自衛権行使のための要件として慣習国際法上成立していたことは支持するが[67]、一方で攻撃を受けた旨を表明すること、および援助要請をすること、この2点が集団的自衛権行使のための要件として一般慣行と法的信念が伴ったものであったかICJは十分に検討をしておらず、これら2要件は本案判決の時点で慣習国際法として成立していなかった、と批判するのである[68]。
- ^ 国際司法裁判所の裁判官団のなかに当事国の国籍を有する裁判官がいない場合、その国はその事件に出席する裁判官を1名選任することができる(ICJ規程第31条第2項、第3項)。これをアドホック裁判官といい、選任する国の国籍を有する者でなくても構わない[72]。本件ではニカラグア国籍の裁判官がいなかったため、ニカラグアはフランス国籍のクロード・アルベール・コラールを選任した[73]。
出典
- ^ ICJ Reports 1986, p.150.
- ^ ICJ Reports 1986, p.14.
- ^ 杉原(2008)、9頁。
- ^ 山本(2003)、10頁。
- ^ 小田(1992)、4頁。
- ^ 浅田(2011)、216頁。
- ^ a b 小寺(2010)、3頁。
- ^ a b c d 東(2009)、597頁。
- ^ a b 植木(2006)、27頁。
- ^ a b c d e f g 小寺(2006)、428-429頁。
- ^ a b c d e f g 松田(2001)、207頁。
- ^ a b c d 増田(1999)、344頁。
- ^ a b c d e f g h 増田(1999)、364-367頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 松田(2001)、206頁。
- ^ a b c d e 山本(2001)、176頁。
- ^ "Report of the Security Council - 16 june 1983 - 15 June 1984", pp.47-48.
- ^ a b "Nicaragua Institutes Proceedings against the United States of America" (PDF) (Press release) (英語). 国際司法裁判所. 9 April 1984.
- ^ a b 筒井(2002)、54-55頁。
- ^ 山本(2003)、700-701頁。
- ^ a b 安藤(1988)、25頁。
- ^ a b 筒井(2002)、265-266頁。
- ^ ICJ Reports 1984, p185-188, para.41.
- ^ 杉原(2008)、426-427頁。
- ^ a b 筒井(2002)、214頁。
- ^ a b 山本(2001)、177頁。
- ^ 山本(2001)、177-178頁。
- ^ a b 杉原(2008)、420-421頁。
- ^ 東(2009)、597頁。
- ^ a b c 山本(2001)、695頁。
- ^ a b c d 杉原(2008)、421-422頁。
- ^ 山本(2001)、696頁。
- ^ “Declarations recognizing as compulsory the jurisdiction of the International Court of Justice under Article 36, paragraph 2, of the Statute of the Court” (英語). United Nations Treaty Collection. 2013年11月2日閲覧。
- ^ 国際条約集(2007)、566-567頁より一部引用。
- ^ 安藤(1988)、25-26頁。
- ^ 安藤(1988)、26-27頁。
- ^ a b 東(2009)、598頁。
- ^ a b c 安藤(1988)、26頁。
- ^ 安藤(1988)、27頁。
- ^ Ivo P. Alyarenca, Ricardo Acevedo Peralta(15 August 1984). "Declaration of Intervention (Article 63 of the Statute) of the Republic of El Salvador"(英語). エルサルバドル政府が国際司法裁判所に宛てた書簡の写しを国際司法裁判所が公開したもの。
- ^ a b c d e f g 東(2009)、602頁。
- ^ 安藤(1988)、30頁。
- ^ a b c 石塚(2012)、357-360頁。
- ^ 石塚(2012)、359頁、脚注17より友好通商航海条約第24条第2項の日本語訳を引用。"Treaty of Friendship, Commerce and Navigation", p.32にて同条の英語正文を、同p.33にてスペイン語正文を、それぞれ閲覧できる。
- ^ Memorial of Nicaragua. p. 403, paras163-165 .
- ^ 石塚(2012)、358-359頁。
- ^ a b c d e f g h i j 東(2009)、599頁。
- ^ 杉原(2008)、403-405頁。
- ^ ICJ Reports 1986, p.17, para.10.
- ^ 安藤(1988)、27-28頁。
- ^ 杉原(2008)、424-425頁。
- ^ 安藤(1988)、34-35頁。
- ^ 安藤(1988)、37頁。
- ^ a b c d 安藤(1988)、28頁。
- ^ 杉原(2008)、423頁。
- ^ 安藤(1988)、28-29頁。
- ^ a b c d e f g 植木(2006)、28頁。
- ^ 根元(2006b)、49-50頁。
- ^ a b c d e f 東(2009)、601頁。
- ^ 植木(2006)、26-27頁。
- ^ 浅田(2011)、216-217頁。
- ^ 近藤(2009)、56頁、および69頁の表2。
- ^ 杉原(2008)、456頁、460頁。
- ^ 東(2009)、600頁。
- ^ a b 根元(2006b)、46-47頁。
- ^ 山本(2003)、737頁。
- ^ 杉原(2008)、14-17頁。
- ^ 根元(2006a)、74頁。
- ^ 根元(2006b)、51頁。
- ^ a b c d 東(2009)、603頁。
- ^ 東(2009)、601-602頁。
- ^ ICJ Reports 1986, pp.146-149.
- ^ 筒井(2002)、147頁。
- ^ "Hearing to open on 8 October 1984 in the case concerning Military and Paramilitary Activities in and against Nicaragua (Nicaragua v. United States of America)" (PDF) (Press release) (英語). 国際司法裁判所. 27 September 1984.
- ^ "Report of the Security Council - 16 June 1986 - 15 June 1987", p.26.
- ^ "Report of the Security Council - 16 June 1986 - 15 June 1987", p.29.
- ^ "Report of the Security Council - 16 June 1986 - 15 June 1987", pp.52-54.
- ^ 筒井(2002)、126-127頁。
- ^ 小寺(2006)、33-36頁。
- ^ a b 小寺(2010)、2-3頁。
- ^ 安藤(1988)、37-38頁。
- ^ 小寺(2010)、3頁、5頁。
- ^ a b c d e 原田(1993)、46頁。
- ^ 増田(1999)、付録37頁。
- ^ ICJ Reports 1987, pp.188-190.
- ^ Human Rights Watch, Human Rights Watch World Report 1992 - Nicaragua, 1 January 1992, 2013年11月2日閲覧。
- ^ ICJ Reports 1991, pp.47-48.
- 1 ニカラグア事件とは
- 2 ニカラグア事件の概要
- 3 アメリカの出廷拒否と欠席裁判
- 4 本案判決
- 5 アメリカの判決履行拒否
- 6 裁判終了
- 7 脚注
- 8 外部リンク
- ニカラグア事件のページへのリンク