トスカーナ大公国 歴代トスカーナ大公

トスカーナ大公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 15:34 UTC 版)

歴代トスカーナ大公

メディチ家

メディチ家断絶。1738年に発効したウィーン条約により公位はロートリンゲン公フランツ・シュテファンに移る。

ハプスブルク=ロートリンゲン家

厳密にはフランチェスコ2世のみはロレーヌ(ロートリンゲン、ロレーナ)家である。フェルディナンド3世以降の家系はハプスブルク=トスカーナ家ともいう。

1799年 - 1801年 フランス共和国による統治

ブルボン家(エトルリア王国)

1807年 - 1809年 フランス帝国による統治

ボナパルト家

ハプスブルク=ロートリンゲン家

  • フェルディナンド3世(在位:1814年 - 1824年)(復位)
  • レオポルド2世(在位:1824年 - 1859年)
    1849年に革命のため大公位を一時逐われた。
  • フェルディナンド4世(在位:1859年 - 1860年)
    大公即位の翌年にトスカーナ大公国がサルデーニャ王国に併合されることが決定したため同年退位。

  1. ^ サルデーニャ王国へ併合された年。1801年にトスカーナ大公国は一時廃されたが、1815年に復活した。


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