デーメーテール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 21:36 UTC 版)
デーメーテールとポセイドーン
アルカディア地方に伝わる神話では、デーメーテールは娘を捜して地上を放浪していた際、ポセイドーンに迫られた。デーメーテールは彼を避けて牝馬の姿となり、オンコス王の馬群の中に紛れ込んだ。しかしポセイドーンは彼女を発見し、自分も牡馬の姿となって女神と交わった[19]。
この結果、デーメーテールは一人の娘と名馬アレイオーンを生んだ[20]。娘の名はデスポイナと呼ばれるが[21]、これは単に「女君主」の意に過ぎず[22]、実際の名は密儀の参加者以外には明らかにされていない[20][23]。この時のポセイドーンに対するデーメーテールの怒りはすさまじく、怒りの女神エリーニュスと呼ばれたほどであった。風光明媚で名高いラードーン川の流れで沐浴するまで女神の怒りは続いたとされる[24]。
アルカディア地方のピガリアにはデーメーテールとポセイドーンの婚姻が伝わる洞窟があり[21]、ポセイドーンに対する怒りと、娘を攫われた悲しみから、黒衣を纏い、その洞窟に籠った。そのため大地は実らず、人々は飢えで滅びかけたという[25]。この洞窟には馬の頭を持つデーメーテール像が祀られていたと伝えられている[26]。これによればデーメーテールはゼウスを中心とする神話確立以前の馬を表徴とする大地母神で、ポセイドーンと対をなす女神だったと考えられる[27]。
その他
暗緑色の衣を纏った姿で描かれ、その象徴は小麦、芥子、水仙、豊穣の角、松明[28]で、聖獣は豚である[29][30][31]。
ギャラリー
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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ『ケレス』(1660年頃) 個人蔵
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アントワーヌ・ヴァトー『ケレス』(1717年と1718年の間) ナショナル・ギャラリー所蔵
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イーヴリン・ド・モーガン『ペルセポネーを悼んだデーメーテール』(1906年頃) ド・モーガン・センター所蔵
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イーヴリン・ド・モーガン『幻覚:ペルセポネー、デーメーテール、ヘカテー』(1914年) 個人蔵
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フランチェスコ・スレーター『アレトゥーサはデーメーテールにペルセポネーの行方を教えた』(1732年) ムーア・パーク所蔵
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フレデリック・レイトン『ペルセポネーの帰還』(1891年) リーズ美術館所蔵
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マドリード・カピトリオのデーメーテールの大理石像
プラド美術館所蔵 -
クニドスのデーメーテール像
大英博物館所蔵 -
デーメーテールとプルートス
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ロトンダのデーメーテール像
旧博物館所蔵 -
アグリッピナのケレス像
- ^ フェリックス・ギラン『ギリシア神話』、203頁。
- ^ 呉茂一、261頁。
- ^ “百科事典マイペディアの解説”. コトバンク. 2018年1月28日閲覧。
- ^ ヘーシオドス『神統記』912行。
- ^ パウサニアス、8巻25・5。
- ^ ヘーシオドス『神統記』969行-971行。
- ^ シケリアのディオドロス、5巻49・4。
- ^ シケリアのディオドロス、5巻77・1。
- ^ シケリアのディオドロス、5巻77・2。
- ^ a b “ヒュギーヌス『天文譜』2巻4話”. ToposText. 2022年2月10日閲覧。
- ^ Pierre Grimal 1986, p.366.
- ^ オウィディウス『変身物語』8巻。
- ^ アイリアーノス、1巻27。
- ^ リュコプローン『アレクサンドラ』1393行への古註。
- ^ ヘーシオドス断片69、5行-6行(Papyrus Cairensis Instituti Francogallici、322 fr.)
- ^ オウィディウス『変身物語』5巻539行-541行。
- ^ アポロドーロス、1巻5・3。
- ^ アポロドーロス、2巻5・12。
- ^ パウサニアース、8巻25・5。
- ^ a b パウサニアース、8巻25・7。
- ^ a b パウサニアース、8巻42・1。
- ^ 呉茂一改版、319頁。
- ^ パウサニアース、8巻37・9。
- ^ パウサニアース、8巻25・6。
- ^ パウサニアース、8巻42・2。
- ^ パウサニアース、8巻42・4。
- ^ 呉茂一改版、320頁。
- ^ フェリックス・ギラン『ギリシア神話』、204頁。
- ^ 豊田和二『図解雑学 ギリシア神話』ナツメ社。
- ^ 創元社編集部『ギリシア神話ろまねすく』創元社。
- ^ クレア・ギブソン『シンボルの謎を解く』産調出版。
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