ティトラウステス (千人隊長) ティトラウステス (千人隊長)の概要

ティトラウステス (千人隊長)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/25 06:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ティトラウステスはペルシア王アルタクセルクセス2世の許で千人隊長(宰相に相当)の地位にあり、「王に継ぐ権力を握」[1]っていた。ティトラウステスは紀元前395年スパルタ王アゲシラオス2世との戦いで失態を演じた小アジア太守ティッサフェルネスを殺すためにサルディスに送られ、ティッサフェルネスの首を刎ねた(ディオドロスによれば、アリアイオスの助けを得てティッサフェルネスを逮捕し、首を刎ねた[2])。その後、ティトラウステスはアゲシラオスと6ヶ月の休戦条約を締結して300タラントンを与え、ファルナバゾスの治めるフリュギア地方へと移動させ、厄介払いした[3][4]。それからしばらくの間ティトラウステスはティッサフェルネスの領地を引き継ぎ、紀元前392年までには去った。しかし、休戦の後もアゲシラオスは小アジアに居座り続けたため、パウサニアスによれば智謀に長け、反スパルタであったティトラウステスは一計を案じた。彼はロドス人のティモクラテスを工作資金を持たせてギリシアに送り、スパルタの覇権に不満を持っていたアテナイアルゴステバイコリントスといった諸国をたきつけてコリントス戦争を起こさせ、アゲシラオスが帰国せざるを得ない状況を作った[5][6](プルタルコスはアルタクセルクセスがティモクラテスを派遣したと書いている[7])。

紀元前392年にティトラウステスは、反乱を起こしたエジプトへとファルナバゾスと共に討伐のために送られたが[8]、遠征は失敗した。その後のティトラウステスについては不明である。

参考文献


  1. ^ ネポス, IX. 3
  2. ^ ディオドロス, XIV. 80
  3. ^ クセノポン, III. 4. 25-26
  4. ^ プルタルコス, 「アゲシラオス」, 10
  5. ^ クセノポン, III. 5. 1-2
  6. ^ パウサニアス, III, 9, 8
  7. ^ プルタルコス, 「アルタクセルクセス」, 20
  8. ^ ネポス, XIV. 3


「ティトラウステス (千人隊長)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ティトラウステス (千人隊長)」の関連用語

ティトラウステス (千人隊長)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ティトラウステス (千人隊長)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのティトラウステス (千人隊長) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS